海上保安レポート2003
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特集

2 船舶交通を支える海上保安庁


5 むすび

 海上保安庁では、これまで国民生活を支える船舶交通の安全確保に一生懸命取り組んできたことがおわかりいただけたかと思います。

 今後は、新たな交通部という体制のもと、より効果的な船舶交通安全行政の推進に力を入れていくこととしていますので、どうかご期待ください。

第拾雄洋丸 衝突・爆発炎上事故
 LPGタンカー「第拾雄洋丸」(総トン数43,724トン、乗組員38名)は、LPG、ナフサ等を満載して、浦賀水道中ノ瀬航路を川崎向け航行中、昭和49年11月9日午後1時38分頃、千葉県君津から出航中の貨物船「パシフィック・アリス号」(総トン数10,874トン、乗組員29名)と衝突し、第拾雄洋丸のナフサタンクに破口を生じ、積荷のナフサが発火、第拾雄洋丸から噴出したナフサによりパシフィック・アリス号も火災を生じ、海面火災を伴って瞬時に両船は災に包まれた。

 事故発生後、海上保安庁の巡視船艇・航空機及び民間船による必死の救助活動により、両船の乗組員34名が救助されたものの、残り33名が死亡した。

 両船は、必死の消火活動にもかかわらず炎上しながら漂流し、陸上に対する二次災害の発生も懸念されたことから、海上保安庁では、民間船と協力し、タンク爆発の危険にさらされながらもえい航作業を行い、同日夜、第拾雄洋丸を千葉県富津沖に座洲させるとともに、パシフィック・アリス号を川崎沖に停泊させ、翌10日、パシフィック・アリス号の火災を完全鎮火させた。

 第拾雄洋丸は、座洲後に高さ100mにも及ぶ火炎を伴う大爆発を起こし、その後も炎上を続けるとともに、船内に大量のLPG、ナフサが残存していたことから、同船を東京湾外に引き出すこととし、事故発生後12日目の11月20日、東京湾外への引き出しに成功した。しかし、爆発のおそれから翌21日えい航を断念し、えい航索を切断した。その後同船は、黒潮に乗って漂流を続けたが、災害派遣により出動した自衛艦の砲撃等により、事故発生後20日目の11月28日沈没した。

LPGタンカー第拾雄洋丸衝突・爆発炎上事故
(昭和49年11月9日発生)
LPGタンカー第拾雄洋丸衝突・爆発炎上事故(昭和49年11月9日発生)

【衝突位置図】
衝突位置図
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