1 国境を守る海上保安庁
3 国境の最前線における対応
1 尖閣諸島周辺海域
尖閣諸島は東シナ海に位置する我が国固有の領土で、魚釣島をはじめとする10島の島々からなっています。
一番大きな魚釣島を起点とすると、石垣島まで約170km、沖縄本島まで約410km、台湾までは石垣島と同じく約170kmで、中国大陸までは約330kmの距離があります。明治29年頃には魚釣島や同諸島の南小島でかつお節や海鳥のはく製等の製造が行われており、魚釣島には、船着場や工場の跡が今も残っています。
尖閣諸島は明治28年1月14日の閣議決定により正式に我が国の領土に編入され、近年に至るまで同諸島の領有権について問題とされることはありませんでした。しかし、昭和43年に日本、韓国及び台湾の海洋専門家等が、ECAFE(国連アジア極東経済委員会)の協力を得て東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を実施した結果、東シナ海の大陸棚には石油資源が埋蔵されている可能性があることが指摘されました。これを契機に、昭和46年以降、中国、台湾が同諸島の領有権を公式に主張し始めました。
さらに、平成8年7月に国連海洋法条約が我が国について発効し、排他的経済水域が設定されたことに伴い、漁業活動への影響が生じたことに対する不満や、同諸島の北小島に日本の団体が灯台の用に供する構造物を設置したことに対する抗議のため、台湾・香港等で「保釣活動」と呼ばれる領有権主張の活動が活発となり、尖閣諸島周辺の領海に侵入するなどの大規模な抗議活動が行われるようになりました。
尖閣諸島
【尖閣諸島の位置】
平成14年4月、政府は、尖閣諸島を平穏かつ安定的な状態に維持するため、尖閣諸島の魚釣島、南小島及び北小島の3島を同島の所有者から借り上げましたが、これに対しても、中国、台湾は激しく抗議しており、今後とも予断を許さない状況にあります。
このため海上保安庁では、尖閣諸島周辺海域に常時巡視船を配備し、また、定期的に航空機をしょう戒させるとともに、関係省庁と連絡を密にしながら外国船舶による領海侵犯、不法上陸等に対する警備に当たっています。さらに、大規模な抗議活動に対しては、全国から巡視船艇・航空機を動員するなど万全な体制で領海警備を政府方針に基づいて行っていくこととしています。
尖閣諸島をめぐる領海警備
最近の事例
平成10年6月24日、香港及び台湾の抗議船等6隻が尖閣諸島付近に接近し、このうち香港の抗議船「釣魚台号」と同船から降下されたゴムボートが、領海内に侵入するという抗議活動がありましたが、巡視船艇等により、これらを領海外に退去させました。
2 竹島周辺海域
竹島は、島根県隠岐諸島の北西約160kmに位置する我が国固有の領土で、東島、西島と呼ばれる二つの島とその周辺の数十の岩礁からなる群島(総面積は約0.23)です。竹島は多くの文献や古い地図において「松島」と記載されており、古くは「松島」の名でよく知られていました。
明治38年の閣議決定及び島根県の告示により、政府は近代国家として、竹島を領有する意志を再確認しました。
第二次世界大戦後の占領下、連合国軍総司令部の覚書により、竹島には我が国の行政権が行使しえず、また、我が国漁船の操業区域を規定した「マッカーサーライン」の外側にあったことから、漁船も付近海域で操業することはできませんでした。
韓国は、サンフランシスコ平和条約の締結に伴い、マッカーサーラインの撤廃が予測されるや、自国水産業の保護と称して昭和27年に「海洋主権宣言」を発し、竹島を取り込んだ「李ライン」を設定し、日本漁船の締め出しを行いました。
政府は、直ちに韓国側へ抗議を行い、海上保安庁では、銃撃をも伴う韓国側の激しい取締りから我が国漁船を保護するため、政府方針に基づき、巡視船を派遣し、漁船と韓国警備艇との間に割って入り煙幕を使用したり、巡視船が漁船を横抱き又はえい航して脱出するあるいはだ捕寸前の漁船に接舷して、最悪でも乗組員だけは救出する等の困難な作業により、懸命にだ捕防止に努めました。
李ラインは昭和40年に消滅しましたが、現在までにだ捕された漁船は326隻、乗組員は3,904人、巡視船への銃撃等も15件16隻に及んでいます。
韓国は、昭和29年頃から、竹島に灯台の用に供する構造物の建設、警備隊員の常駐等を行い、現在も不法占拠を続けています。
政府は、「竹島は、歴史的事実に照らしても国際法上も明らかに日本の領土である」という一貫した立場を堅持する一方、竹島問題は平和的に解決されるべきであり、外交ルートを通じて粘り強く解決を図る方針を示しています。
海上保安庁は、こうした政府方針に沿って、竹島周辺海域に、常時巡視船を配備し、竹島周辺海域の監視を行うとともに、我が国漁業者の安全を確保するという見地から被だ捕の防止指導等を行っています。
竹島
漁船のだ捕防止を行う巡視船 (李ラインが設置された頃)
3 北方四島周辺海域
北海道の北東に連なる歯舞諸島、色丹島、国後島及び択捉島は、日本人により開拓され、日本人が住み続けていた島々です。第二次世界大戦末期において、日ソ中立条約に違反して対日参戦したソ連(現ロシア)によって不法占拠され、現在に至っています。
北方四島周辺海域は、好漁場であり、しかも小型漁船が容易に出漁できる距離にあることから、ソ連時代から現在に至るまで、ソ連・ロシアが主張する領水に無許可で進入したり、あるいは許可内容に違反してだ捕される日本漁船が跡を絶ちません。
ロシアは、この海域において平成6年から平成8年まで「プチーナ(漁期)」、平成10年には「ビオ(生物資源)98」、平成11年には「ミンタイ(すけとうだら)99」、平成12年には「プチーナ2000」と称する密漁取締りを実施しており、違反漁船に対しては、武器の使用も辞さないという強硬な姿勢を示していることから、引き続き厳しい取締りが予想されます。
一方、平成10年2月、日ロ政府間において「日本国政府とロシア連邦政府との間の海洋生物資源についての操業の分野における協力の若干の事項に関する協定」が署名され、同年10月から北方四島周辺の指定された海域における操業が開始されています。
日本政府は、ロシアに対し北方領土は日本固有の領土であることを主張、四島すべての帰属問題について、精力的な交渉を継続しており、海上保安庁は、こうした政府方針に基づき、だ捕等の発生が予想される北海道東方海域のロシア主張領海線付近等に、常時巡視船艇を配備して、出漁船に対し直接、又は、漁業協同組合等を通じ、被だ捕の防止指導等を行っています。
国後島(知床半島より撮影)
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