海上保安制度創設60周年記念 特集1 海上保安庁 激動の10年 > 2001年
2001年(平成13年)
海上保安庁の動き
12月に発生した九州南西海域における工作船事件においては、工作船からの攻撃を受け巡視船が被弾し海上保安官3名が負傷するなか、正当防衛射撃等を実施するなど1999年の能登半島沖不審船事案の教訓等を踏まえた適切な対応を行い、その後、工作船は自爆用爆発物によるものと思われる爆発を起こして沈没しました。こうした工作船が暗躍している実態と、日本の領海警備にあたる海上保安庁の業務が広く国民に理解されました。また、9.11米国同時多発テロ事件以降、海上保安庁ではテロ対策を最重要課題と位置付け、米軍施設、原子力発電所等の臨海部の重点警備対象施設の警備を大幅に強化しました。海上保安庁では、この年、不審船・工作船対策、テロ対策を加速させました。
社会の動き
「聖域なき構造改革」を掲げた小泉内閣が発足しました。小学校に刃物を持った男が乱入し児童8人を殺害した事件や明石市花火大会で群集雪崩により死傷者が発生するなど悲痛な事件の発生とともに、狂牛病(BSE)が日本でも確認され、食への信頼も揺らぎました。海外では、約3,000人の犠牲者が出た9.11米国同時多発テロ事件を受け、「テロとの戦い」を旗印に米英軍がアフガン攻撃を開始しました。
12月22日、海上保安庁は防衛庁(当時)から九州南西海域における不審船情報を入手し、直ちに巡視船・航空機を急行させ同船を捕捉すべく追尾を開始しました。同船は巡視船・航空機による度重なる停船命令を無視し、ジグザグ航行をするなどして逃走を続けたため、射撃警告の後、20ミリ機関砲による上空・海面への威嚇射撃及び威嚇のための船体射撃を行いました。しかしながら、同船は引き続き逃走し、巡視船に対し自動小銃及びロケットランチャーによる攻撃を行ったため、巡視船による正当防衛射撃を実施しました。その後同船は自爆用爆発物によるものと思われる爆発を起こして沈没しました。
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▲工作船を追尾する巡視船「いなさ」 |
▲威嚇のための船体射撃 |
高速特殊警備船が就役
平成11年3月の能登半島沖不審船事案を契機に、 高速特殊警備船の1番船「つるぎ」を建造し、同13年2月15日、新潟海上保安部に配属しました。以後3月に、2番船「ほたか」、3番船「のりくら」を建造し、それぞれ舞鶴海上保安部(京都府)、金沢海上保安部(石川県)に配属しました。
これらの 高速特殊警備船は、40ノット以上の速力や20ミリ機関砲(RFS)を搭載するなど、不審船対応能力の強化を図っています。
なお、不審船対応を主目的とする巡視船として、平成16年度までに 高速特殊警備船をさらに3隻建造したほか、同19年度までに1,000トン型巡視船(高速高機能)3隻、2,000トン型巡視船(ヘリ甲板付高速高機能)3隻を建造しました。
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▲高速特殊警備船 |
米国同時多発テロ事件の発生に伴うテロ対策 海上保安庁では、9月11日に米国で発生した同時多発テロ事件を受け、国際テロ警備本部を設置し、原子力発電所等の重点警備対象施設に対する警備を強化したほか、海事関係者に自主警備の強化を要請するなどの措置を講じ、全庁一丸となってテロ対策を強化しました。
初の日中連携作戦 〜密航請負組織等を一網打尽〜 10月14日、中国公安部からの大量密航情報を入手した海上保安庁は、中国公安部、警察と連携し、千葉県片貝漁港沖で中国人密航者91名、日本側受入者3名、中国から密航者を運んできた船の船員5名、計99名を出入国管理及び難民認定法違反(不法入国及び集団密航助長)で逮捕しました。その後、警察が日本側受入者4名を同法違反(集団密航助長)で逮捕しました。本密航事件は、中国でも公安部が密航請負組織関係者4名を逮捕するなど、日中の治安機関が連携して摘発した初の事例となりました。
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▲(左上)密航者の摘発(左下)密航に使用された外国船(右)逮捕された密航者 |
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▲20mm機関砲射撃訓練中の
巡視船「つるぎ」 |
海上保安庁法の改正 平成11年3月の「能登半島沖不審船事案」の教訓・反省を踏まえ、同13年11月2日、海上保安庁法の一部を改正しました。これは、海上保安官等が武器を使用する場合の要件を改正したものであり、不審船に対し、的確な立入検査を実施する目的で停船を繰り返し命じても、乗組員等がこれに応じず抵抗し、逃亡しようとする場合において、海上保安庁長官が一定の要件に該当する事態であると認めた時には、海上保安官等が停船させる目的で行う射撃について、人に危害を与えたとしても違法性が阻却されるようにしたものです。
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