海上保安レポート 2004
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●長官からのメッセージ

■TOPICS 海上保安の1年

■数字で見る海上保安庁
■海上保安庁の体制・業務
■特集 海の犯罪・海保の対応
■本編

・海上交通の安全のために
・人の命を救うために
・安心できる暮らしと環境を守るために
・国内外関係機関との連携・協力
・海上保安庁を支える装備等
・海上保安官になるために


●海上保安Q&A
●船艇紹介
●地方探訪
●航空機の歴史


本編 > 特集 > 2 > 4 新たな社会問題の発生


 昭和30年代後半、我が国は経済の完全な復興を成し遂げ、その後昭和40年代に突入し経済の高度成長に伴う様々な社会問題を生み出しました。
 約12年間の激論の末、昭和40年6月には日韓国交正常化の要である「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」を締結し、これにあわせ「日本国と大韓民国との間の漁業に関する協定」も同年12月には発効することとなりました。この結果、昭和28年から続いていた李承晩ラインも廃止され、対馬周辺海域における戦々恐々とした漁業関係にも一応の結末を迎えることとなりました。しかし、竹島の領有権に関する問題については何ら解決されることなく引き継がれ、また、「共同規制区域」の設定や、出漁隻数、漁船規模、網目、集魚灯の光力、出漁証明書、標識などについて、両国がそれぞれ自国の漁船に対して規制を行う制度の発足など、漁業者のみならず海上保安庁においても、新制度に対する新たな対応を求められることとなりました。これまでどおり、正当な操業を行う我が国漁船の保護、我が国の水域を侵犯する韓国漁船の取締りはもとより、共同規制水域内における無標識出漁船の取締りなど暫定的漁業規制措置等の実施のための国内法令違反の取締りや、漁業協定を誠実に実施するための我が国漁船の韓国側水域への侵犯の防止に力を注ぐこととなりました。
 経済の高度成長は公害という問題も生み出しました。これは自然という財産を破壊し、生態系の破壊や大気の汚染など人の生活基盤を不安にする要素をはらんでいます。このような不安は水産動植物の生息する海にも向けられ、海水の汚濁という点が着目され始めたのもこの時期です。これまでも海上保安庁では、船舶の衝突や沈没などの海難が発生した際に船舶から漏れ出す油による汚染や、港内における廃油や石炭がら、水産動植物に有害な物の不法投棄への対応を行ってきましたが、規制となる範囲は港内とその付近に限定され、規制内容も不明確であったことなどから、汚濁防止の実効の確保には不十分なものでした。国際的には、「油による海水の汚濁の防止のための国際条約(OILPOL条約)」が1954年(昭和29年)に採択されていましたが、我が国は国内体制の整備に多くの問題があり、これに加盟することができない状況が続きました。しかし、経済活動の活発化による物流を中心とした海上交通量の増加は、船舶の燃料である油の排出などにより、廃油ボールの漂流など無視できないほどの海水汚濁を引き起こし、さらに、国民的世論も高まりを見せたことから、昭和42年「船舶の油による海水の汚濁の防止に関する法律」が制定・施行され、海水汚濁に対する規制が大幅に強化されました。これを受けて海上保安庁では、東京湾、伊勢湾、瀬戸内海などの海水油濁事件が多発する海域に巡視船艇・航空機を重点配備し、油濁事犯の防止と取締りを強化する一方、関係者への説明会の開催、ポスターの配布など油濁事故防止のための指導・注意喚起を行うといった対応をとりました。
海洋汚染防止法の施行
 また、海水油濁事件に加えて、臨海工場からの工場排液等による海洋汚染も重大な社会問題となり、昭和45年の海上公害法制の整備、昭和46年の海洋汚染防止法の施行などが進められ、海上保安庁としても海洋汚染防止対策を一層効果的に推進するため、組織体制を整備するなど、監視・取締り体制の一層の強化を図りました。このような公害問題は、当時の特定の個人、企業などによる汚染といった問題から、現在では日々の暮らしの中で発生する廃棄物や温室効果ガスなどその裾野を広げて環境問題として着目され続けています。

廃油ボールとは…
 廃油ボールとは、「船からの不法排出、海難事故等により流れ出した油分が海上又は海浜において変性し、凝固したもの」です。一般的に、油が海に流出した場合、油膜は水面を覆い帯状に流れていき、海面下に住む生物に必要な光や空気をさえぎります。流出した油は、一部は揮発又は分解しますが、油と海水が徐々に混ざり、ムース状になります。そして、長期間漂流するうちに、タール成分が徐々に硬化して固形状の油の塊になります。これを廃油ボールと言います。
 こうした油膜や廃油ボールが、我が国を含む世界中の海岸を汚染しています。
廃油ボール
▲廃油ボール