海上保安レポート 2004
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●長官からのメッセージ

■TOPICS 海上保安の1年

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■海上保安庁の体制・業務
■特集 海の犯罪・海保の対応
■本編

・海上交通の安全のために
・人の命を救うために
・安心できる暮らしと環境を守るために
・国内外関係機関との連携・協力
・海上保安庁を支える装備等
・海上保安官になるために


●海上保安Q&A
●船艇紹介
●地方探訪
●航空機の歴史


本編 > 特集 > 2 > 1 戦後の動乱


 戦後の日本は、連合国軍による占領下、経済的不安と社会的混乱に見舞われ、各種犯罪が激増する状況にありました。
 我が国では各種物資の需給調整が行われ、中国、朝鮮半島ではインフレが急速に進行するなど、経済状態は劣悪な状態となっていました。このような背景から、我が国から日用品、雑貨、化粧品、文房具、機械部品などが密輸出され、朝鮮半島などから米、海産物、漢方薬、生ゴム、駐留軍物資などが密輸入される事案が続発し、国内でも燃料油、食糧、魚介類などの海上やみ輸送が横行していました。
 また、これら密輸に併せて、不法出入国者も増加し、特に朝鮮半島からの密輸に乗じて不法入国を企てる者が後を絶たない状況が続きました。
 当時は密輸と密航を同一船舶で同時に企てる手口が横行し、密輸の背後関係にある者を密航させて密輸を完遂させるという事案も存在しました。
 漁業についても、昭和24年8月、「漁船の操業区域の制限に関する政令」(昭和24年政令第306号)により、いわゆるマッカーサーラインが設定された結果、我が国漁業は沿岸部に集中し、無許可操業や禁止区域侵犯が横行しました。当時の密漁手法としては、ダイナマイトを使用したものも多発しています。
 このような状況に対して海上保安庁では、旧海軍の艦艇、在来船を編入するとともに、巡視船艇の新規建造に着手して取締勢力の拡大を図り、昭和24年当時、巡視船64隻(うち新造4隻)、巡視艇104隻(うち新造11隻)の計168隻により、各種取締りに対応しました。
PL03むろと
▲当時の最新型巡視船(PL03むろと)
犯罪検挙状況
 また、取締りの内容については、社会的混乱の原因とも言うべき密輸・密航の取締りに重点を置いた結果、これらの犯罪に対しては一定の結果が得られました。しかし、密漁、海事関係法令違反、海上やみ輸送などの犯罪に対しては取締り勢力の劣勢から十分に対応することが困難な状況でした。
 その後、昭和25年6月の朝鮮動乱勃発により、戦渦からの逃避目的による朝鮮半島からの密入国者が増加の一途をたどり、これへの対応として朝鮮半島至近の対馬周辺に巡視船艇を常時6隻配備するなどして警備に当たりました。また、現在ではあまり見られませんが、国内においては戦後の経済的不安が解消されず、アメリカ合衆国などの外国生活へのあこがれから外国航路の貨客船などに侵入して不法出国を企てる日本人が後を絶ちませんでした。昭和26年には検挙した不法出国者682人のうち、610人*1がこのような日本人でした。
 密輸についても朝鮮動乱の影響を受け、朝鮮半島との密輸は減少しましたが、この動乱により沖縄での米軍物資の流通が活発となった結果、沖縄からの米軍物資の横流しが横行するとともに、くず鉄の需要の急増に伴って兵器・砲弾の残骸といったくず鉄の密輸が増加しました。この朝鮮動乱に伴うくず鉄の需要は、現在では想定しえない犯罪も引き起こしています。戦後、旧日本軍の銃砲や弾薬などは占領軍により没収され海洋投入処分されていましたが、これらをくず鉄として流通させ、利益を得る目的で、密かにこれらを引き揚げる事案が見られ、昭和26年には231件*2を検挙するに至りました。中には魚雷までも引き揚げようとする者、引揚げの途中に爆発を生じさせる者なども見られました。
 また、密輸・密航の横行に伴い、これに必要な船舶を用立てるため、窃盗や横領により船舶を奪い取るような事案も増加しました。このほか、戦後5年余を経て漁業においては諸制度が確立し、海事関係においては、船舶に法定設備を搭載する経済的余裕も船主に見られるようになったことから、漁業関係法令や海事関係法令の違反についても例外視すべき要因が薄まり、立入検査などこれら取締りの強化を打ち出しました。その結果、海事関係法令違反の検挙件数は昭和24年の1,344件から昭和26年には約4倍の5,499件に激増し、人命財産の保護に貢献していきました。