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本編 > 特集 > 2 > 3 経済の好転と海上犯罪
昭和30年代に入り、我が国は「もはや戦後ではない」と言われるほどの経済回復を遂げ、その後も飛躍的な発展を遂げるに至りましたが、経済発展に伴い海上輸送の需要も増加の一途をたどり、国民生活における海上依存度も極めて高いものとなりました。また、洞爺丸や紫雲丸、第5北川丸といった大海難が続発しましたが、過失がなかったら当然起こらなかったと思われるものばかりでした。このため海事関係法令違反の摘発強化に努め、密輸・密航といった犯罪に隠れがちであった同種違反の検挙は飛躍的に増加し、昭和30年の20,464件に対して昭和32年には約2.2倍の44,463件まで増加しました。 経済の発展に同調して貿易自由化が進むにつれ、密輸も隠匿方法などの巧妙なものが主流となるとともに、組織的な犯行も目に付くようになりました。また、昭和32年には香港経由による麻薬(生あへん)の密輸を摘発し、徐々に船舶、航空機を利用した麻薬の密輸にも着目していかなければならない時代となりました。このような状況にかんがみ、昭和33年、関係省庁間で「麻薬対策連絡会」を設置して連携体制の強化にも取り組みました。その後、昭和38年には警察、税関、麻薬取締官事務所との連携により大麻約1kgを船内から押収するといった事例も発生しています。 ▲密輸品の押収 密航も経済発展を背景に、密輸企図者や商用者などの韓国からの密航が後を絶たず、密出国者を見ても、欧米への憧れによるものが減少し、こちらも韓国などとの密輸のためといったものが増加しました。このように経済の発展という背景により、生活のための犯罪から利欲のための犯罪へと変化し、戦後から続く密輸・密航の重点的な取締りにより、犯罪手口も組織化、巧妙化が顕著に現れてきました。韓国からの密航についてはその後も状況に変化はありませんでしたが、昭和38年には極度の食糧難と韓国全土におけるコレラの発生により我が国のみならず韓国官憲による厳重な取締りの結果、一時的に韓国からの密航者が減少するという状況も生まれています。 ▲密航船内の捜索
昭和30年代半ばには、これら犯罪への対応のほか、各種警備事案への対応も重要な課題と言える時代が到来しました。これまでは漁業紛争への対応がその顕著なものでしたが、昭和34年12月から開始された在日朝鮮人の北朝鮮帰還輸送が開始され、この輸送への反対姿勢として李承晩ライン周辺海域における日本漁船のだ捕強化、北朝鮮帰還輸送船への実力行使等当時の韓国政府の強硬策が懸念されたことから、この輸送船の安全確保のため巡視船艇・航空機の配備、ひいてはふ頭への海上保安官の配置等により航路、港内及びふ頭の警備を実施しました。また、労働争議、安保闘争の激化によりその舞台が海上まで及ぶような事案も発生しました。このような警備事案は、個人の利益追求や個人を標的とした犯罪とは異なり、集団による地域、国家に対する犯罪行為であり、これを阻止することが国、地域の人々への安心を導くものと考えており、決してなおざりにできる問題ではありません。このため、これら警備事案に対しても厳重な警備体制を敷き、不法行為への厳正対処を第一に事案への対処を行いました。また、自衛隊基地建設に伴う抗議活動、米原子力潜水艦寄港反対運動なども当時勢いを増してきた事案です。 このように、密輸・密航等の犯罪に加え、各種警備事案への対応も徐々に重要性が増し、厳正な対処に必要な的確な情報を早期に把握することの重要性が益々高まっていきました。 |