明治時代初期、我が国には海難救助を行う公的・私的組織は存在せず、水難救助は地元住民や、漁業者間の相互扶助の慣習に依存しており、組織的な救助法や近代的な救助装備はほとんど普及していませんでした。
明治22年、漁業や航海の神として信仰の篤い金刀比羅宮(香川県)の宮司だった琴陵宥常(ことおかひろつね)氏が「神護は人力を尽くして初めて得られる」との考えのもと、当時のロシア帝国の水難救済会を手本に、大日本帝国水難救済会(現社団法人日本水難救済会)を設立しました。同会は、翌年には、初代総裁として有栖川宮威仁親王(ありすがわのみやたけひとしんのう)殿下を推戴し、明治30年からは政府の補助金を受けるなど、当時の政府の全面的支援のもとで、着実に組織を充実させていきました。
●水難救済会の救助実績
設立から第二次世界大戦終了までの約60年の間は我が国唯一の水難救助のための公益法人として、警察や地方公共団体との連携した救助事業を展開し、昭和23年に海上保安庁が設立されると、海難救助の主たる部分は行政に譲りますが、これまでの経験・技術の蓄積と、目の細かな救難所のネットワークを生かして行政の不足を補ってきました。
現在では、名誉総裁として高円宮憲仁親王妃久子(たかまどのみやのりひとしんのうひひさこ)殿下にご就任いただき、全国各地の漁協やマリーナなどに約1,200カ所の救難所及び救難支所を置いて、その地域ごとの海の地形や気象・海象を熟知した約58,000名のボランティアの救難所員が地元の海難救助活動を実施しています。ひとたび海難が発生すれば、本業を中断し、危険を顧みず海難の救助に当たる彼らの活動によって、平成17年には392件の海難等に出動し、348名の方が救助されました。
救助事例
平成16年12月、千葉県鴨川市の加茂川河口付近においてプレジャーボートが強風により転覆し、乗船者2名が海上に投げ出されました。
通報を受けた地元救難所の所員が、厳寒、海上荒天という厳しい条件の中、自身の危険を顧みず海中に飛び込んで救助に向かい、浮き沈みしながら漂流している1名及び水中に没し呼吸が停止していた1名を引き揚げ人工呼吸を行いながら、2名を護岸まで搬送し無事救助しました。(平成17年度社団法人日本水難救済会名誉総裁表彰受賞(名誉総裁:高円宮憲仁親王妃久子(たかまどのみやのりひとしんのうひひさこ)殿下))
平成16年12月、千葉県鴨川市の加茂川河口付近においてプレジャーボートが強風により転覆し、乗船者2名が海上に投げ出されました。
通報を受けた地元救難所の所員が、厳寒、海上荒天という厳しい条件の中、自身の危険を顧みず海中に飛び込んで救助に向かい、浮き沈みしながら漂流している1名及び水中に没し呼吸が停止していた1名を引き揚げ人工呼吸を行いながら、2名を護岸まで搬送し無事救助しました。(平成17年度社団法人日本水難救済会名誉総裁表彰受賞(名誉総裁:高円宮憲仁親王妃久子(たかまどのみやのりひとしんのうひひさこ)殿下))
また、わが国の周辺海域で活動する船舶内で、病気、負傷により緊急に医師の治療を必要とする傷病者が発生した場合、海上保安庁の巡視船艇・航空機等で医師・看護師等を現場に急派し、傷病者に対して応急医療を施すため、社団法人日本水難救済会洋上救急センターが運営主体となって「洋上救急事業」を実施しています。
●救助活動の流れ
そのほかにも、ボランティアの救難所員が使用する救助資機材の購入や組織的救助訓練等のための経費を募る「青い羽募金」活動などを行っています。
▲救難支所の様子
「洋上救急」制度発足から20年で発動件数600件に
洋上の船舶で発生した傷病者に対し、医師・看護師等が往診し、応急医療を行うためのシステムである「洋上救急」の発動件数が、昭和60年10月の制度発足以来約20年で600件に達しました。
洋上救急制度は、我が国周辺海域を航行する船舶内で、病気、負傷により緊急に医師の治療を必要とする傷病者が発生した場合に、船舶又は船主・代理店からの要請に基づき、「洋上救急事業」の運営主体である「社団法人日本水難救済会洋上救急センター」が、協力医療機関に医師・看護師等の派遣を要請、医師等が海上保安庁の巡視船艇・航空機等に同乗して現場に急行し、傷病者に対して救急救命処置を施すために運用されている制度です。
600件の事案に対し、海上保安庁では延べ430隻の巡視船艇と741機の航空機を出動させ、傷病者627人に対して洋上救急活動を実施しました。また、全国の洋上救急協力医療機関からは1,133人の医師・看護師等が往診に派遣されました。
600件目の洋上救急発動は、平成18年1月18日、宮城県金華山沖を航行中の漁業実習船の実習生が腹痛を訴え、急性虫垂炎の疑いがあることから洋上救急の要請があり、第二管区海上保安本部(宮城県)が、患者の往診のため、機動救難士を乗せた巡視船「つがる」を現場に急行させるとともに、洋上救急協力医療機関から派遣された医師及び看護師を仙台航空基地(宮城県)所属のヘリコプターで搬送しました。
洋上の船舶で発生した傷病者に対し、医師・看護師等が往診し、応急医療を行うためのシステムである「洋上救急」の発動件数が、昭和60年10月の制度発足以来約20年で600件に達しました。
洋上救急制度は、我が国周辺海域を航行する船舶内で、病気、負傷により緊急に医師の治療を必要とする傷病者が発生した場合に、船舶又は船主・代理店からの要請に基づき、「洋上救急事業」の運営主体である「社団法人日本水難救済会洋上救急センター」が、協力医療機関に医師・看護師等の派遣を要請、医師等が海上保安庁の巡視船艇・航空機等に同乗して現場に急行し、傷病者に対して救急救命処置を施すために運用されている制度です。
600件の事案に対し、海上保安庁では延べ430隻の巡視船艇と741機の航空機を出動させ、傷病者627人に対して洋上救急活動を実施しました。また、全国の洋上救急協力医療機関からは1,133人の医師・看護師等が往診に派遣されました。
600件目の洋上救急発動は、平成18年1月18日、宮城県金華山沖を航行中の漁業実習船の実習生が腹痛を訴え、急性虫垂炎の疑いがあることから洋上救急の要請があり、第二管区海上保安本部(宮城県)が、患者の往診のため、機動救難士を乗せた巡視船「つがる」を現場に急行させるとともに、洋上救急協力医療機関から派遣された医師及び看護師を仙台航空基地(宮城県)所属のヘリコプターで搬送しました。
▲傷病者の搬送 |
▲ヘリコプターからの降下 |
東ちづるさんが「青い羽根募金アドバイザー」に
女優の東ちづるさんが、平成17年8月10日、社団法人日本水難救済会の「青い羽根募金アドバイザー」と同募金の運営協議会委員に就任されました。
「青い羽根募金」は、ボランティアの救難所員の活動を支えるために、救助活動に不可欠な救難用資器材や救助技術向上のための訓練などの経費に役立てることを目的とした募金活動で、昭和25年から国民各層に広く募金を呼びかけています。
東ちづるさんは、瀬戸内海に浮かぶ広島県因島の出身で、海を見て育ち、海に親しみを持たれており、女優としてテレビやラジオなどで活躍されるとともに、プライベートでは骨髄バンクやあしなが育英会などのボランティア活動を続けられています。
東さんがパーソナリティーを務めるラジオの政府広報番組で青い羽根募金がテーマに取り上げられたことが縁となり、同会が青い羽根募金アドバイザーと同募金の運営協議会委員の就任について東さんにお願いしたところ、快く引き受けられました。同会会長からアドバイザーと委員の委嘱を受けた東さんは、青い羽根募金のPRや募金に関するアドバイス、募金運営の審議などに活躍されています。
▲石川海上保安庁長官、 海上保安庁マスコットキャラクター 「うみまる」、「うーみん」 |
「青い羽根募金」は、ボランティアの救難所員の活動を支えるために、救助活動に不可欠な救難用資器材や救助技術向上のための訓練などの経費に役立てることを目的とした募金活動で、昭和25年から国民各層に広く募金を呼びかけています。
東ちづるさんは、瀬戸内海に浮かぶ広島県因島の出身で、海を見て育ち、海に親しみを持たれており、女優としてテレビやラジオなどで活躍されるとともに、プライベートでは骨髄バンクやあしなが育英会などのボランティア活動を続けられています。
東さんがパーソナリティーを務めるラジオの政府広報番組で青い羽根募金がテーマに取り上げられたことが縁となり、同会が青い羽根募金アドバイザーと同募金の運営協議会委員の就任について東さんにお願いしたところ、快く引き受けられました。同会会長からアドバイザーと委員の委嘱を受けた東さんは、青い羽根募金のPRや募金に関するアドバイス、募金運営の審議などに活躍されています。
日本水難救済会へのお問い合わせ先 〒104-0033 東京都中央区新川1-23-17 マリンビル6階 TEL.03-5540-6090 FAX.03-5540-6091 【青い羽根募金について】 青い羽根募金専用フリーダイヤル TEL.0120-01-5587 青い羽根募金ウェブサイト http://www.mrj.or.jp/chocom_info.html 青い羽根募金 三井住友銀行日本橋東支店(普通)7468319 社団法人日本水難救済会青い羽根募金口 郵便振替口座00120-4-8400 社団法人日本水難救済会 (募金専用フリーダイヤルでお申し出くだされば振込料無料の専用郵便振替用紙をお送りします。) |