先輩の声

航空機職員(飛行)

「かがり火から感じた自分の責任の重さ」

出身地
愛媛県松山市出身

有資格者採用に必要な資格はどのように取得しましたか。

フライトスクールで回転翼事業用操縦士の資格を取得しました。

入庁前の仕事を教えてください。

免許を取得した後、そのまま社員として会社に残り、運航支援や事務作業、座学教官などをしていました。

海上保安庁に入庁しようと思ったきっかけを教えてください。

民間の会社でも仕事は面白く、それなりに充実していたが、自分が社会に貢献できる範囲が限定されていることに物足りなさを感じていました。
海上保安庁が回転翼操縦士を募集しているのを知ったのはそのころでした。自分の技能を発揮して、様々な人に対し直接的に貢献できる仕事に魅力を感じ、入庁を考えるようになりました。

入庁前に心配だったことは何ですか。また、実際に入庁してみて、感じたこと/思ったことについて教えてください。

海上保安庁には、体育会系のイメージがあり、上下関係や体力勝負の世界でやっていけるのかどうか不安がありました。実際には、組織内での上司と部下の関係、また業務遂行のため体調の維持管理等は必要であるものの、その必要性は理解できる範囲のものであり、心配するようなものではありませんでした。
また、航空職員は全国転勤となることから、家族も一緒に転勤することについて不安がありました。実際に北海道から沖縄まで、16年間で6回の引っ越しを経験しましたが、「住めば都」という言葉通り、家族や友人との関係をしっかり築いていれば、どこに行ってもなんとかなると感じています。

入庁後のキャリアパスと業務内容を教えてください。

門司分校で初任者課程を修了したのち、航空基地に配属されました。最初の数か月で航空員となり、飛行作業や事務作業の基礎を覚え、その傍ら乗務する航空機について勉強し、半年弱で副操縦員に認定され、以後操縦席に座って機長を補佐しながら海上保安業務の経験を積みました。またこの間、各機体の限定変更や計器飛行証明等の資格を取得しました。
入庁後5年目で特修科に進み、7年目で初めてアグスタ139の機長認定を受け、以後機長として各種業務に従事し、14年目に主任飛行士の任を受け、今に至ります。

今まで経験した海上保安業務で印象に残っていることは何ですか。

ある地域では、漁業者が海難事故に遭遇した時、漁港の近くの崖の上で大きなかがり火を上げ、遭難者が無事に帰ってくるよう祈る慣習があります。
真夜中に「無人漂流漁船情報あり、乗員は海中転落したと思われる」との連絡を受け、捜索のために現場海域へ向かう途中、このかがり火の上を通りがかりました。かがり火の周りには、漁協関係者に交じって女性や子供がいるようでした。捜索中の洋上からは、漆黒の闇に浮かぶ灯が遠方からもよく見えました。
あのかがり火を焚いて家族の帰りを待つ人たちは、「どんなに心配なことだろう。あのかがり火を遠くに見ながら暗黒の海面を漂う人は、どんなに心細いことだろう。」それを思うと、自分の責任の重さを痛い程に感じました。
今も行方不明者捜索で飛行するたび、暗闇に浮かぶあのかがり火を思い出して気が引き締まります。

前職の経験や資格は海上保安業務のどのような場面で生かされていますか。

仕事の仕方や経済的感覚など、海上保安庁の外の状況を知っていることで、当庁の業務の問題点や課題に対し、客観的に気づくことができます。例えば、外部の民間事業者との様々な調整において、「お役所仕事」と思われないよう、言動の端々まで気を付けています。
また、前職で得られた人脈は、業界の様々な情報を得られる貴重なソースであり、今でも大切にしています。

有資格者採用を検討している方へメッセージをお願いします。

海上保安庁で勤務し、辛いことや悔しいことを嫌というほど経験しましたが、自分の仕事が誰かの役に立ったという達成感は何物にも代えがたく、この仕事を続ける原動力になっています。
海上保安庁のパイロットは、航空機を飛ばすのが仕事ではなく、航空機を使って業務を行うのが仕事です。飛行機が好きなだけではできない仕事ですが、同時に飛行機が好きでないとできない仕事だと思っています。そして、この仕事にはチームワークが不可欠です。努力を楽しめる方、また他者を思いやれる方。一緒の現場で働く日を楽しみにしています。

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