海上保安レポート 2012

はじめに


TOPICS 海上保安の一年


特集 東日本大震災


海上保安庁の任務・体制


■本編

1 治安の確保

2 領海等を守る

3 生命を救う

4 青い海を守る

5 災害に備える

6 海を知る

7 交通の安全を守る

8 海をつなぐ


目指せ! 海上保安官


語句説明・索引


図表索引


資料編

特集 東日本大震災 > II 大震災に立ち向かう > 1.捜索救助等
特集 東日本大震災 ― 海上保安庁の対応と今後の対策 ―
II 大震災に立ち向かう
1.捜索救助等

今回の震災では、津波で多くの方々が海に流されたり、流された船舶や陸上で孤立したことから、海上保安庁では震災直後から総力をあげて捜索・救助にあたり、360名の方々を救助しました。このうち、ヘリコプターによる吊り上げ救助は279名と、全体の78%を占めており、被災地における迅速な航空勢力の展開が重要であることが分かります。

行方不明者の捜索についても、これまでに潜水士等を延べ5,961名投入し、1,021か所延べ1,069回に及ぶ潜水捜索を行うなど、行方不明者の多い地域の沿岸部を中心に重点的かつ継続的な捜索を行い、395体のご遺体を収容しました。

また、平成24年1月19日までに、津波で港などから流されて漂流する506隻の船舶について、生存者等の有無を確認しました。その結果全て無人であることが確認されました。漂流船舶の多くは使用が困難な状態になっていましたが、使用可能な85隻を巡視船でえい航し、所有者等に引き渡しました。

このほか、臨海部で発生した火災に対して消防船等で海上からの消火活動を行いました。

※数値は、平成24年3月11日現在のもの

1 捜索救助
ヘリコプターによる座礁船乗船者の救助
座礁船「トリパン」号・「サイダージョイ」号乗船者の救助

(平成23年3月12日、宮城県石巻市)

乗船者の吊り上げ救助
▲乗船者の吊り上げ救助
ヘリコプター機内
▲ヘリコプター機内

平成23年3月11日午後4時34分ころ、石巻市の造船所から建造中の貨物船「トリパン」(作業員81名乗船)及び貨物船「サイダージョイ」(同31名乗船)が、津波により漂流し、石巻港内に座礁しました。吹雪の中、海上保安庁のヘリコプターが現場に到着した時点で日没を過ぎており、停電により付近一帯には灯りもなく、また、建造中の両船に十分な照明もないため、直ちに吊り上げ救助を行うことは不可能でした。

両船ともに船体は安定していたことから、両船との間で緊急時の連絡体制を整えました。

その後、船体の亀裂部分から浸水が進んでいるとの連絡を受け、翌12日早朝から海上保安庁のヘリコプター2機が現場に急行し、乗船者102名を救助しました(残る10名は海上自衛隊が救助)。

座礁船「シラミズ」号・「パインウェーブ」号乗組員の救助

(平成23年3月15日・16日、福島県相馬市)

震災発生時、福島県相馬港においては、荷役中の貨物船「シラミズ」及び貨物船「パインウェーブ」が座礁しました。両船にはそれぞれ乗組員23名がいましたが、船体は安定しており、直ちに危険のない状況であったため、より危険な状況にある被災者の救助を優先しつつ、「シラミズ」号は3月15日に、「パインウェーブ」号は翌16日にそれぞれの乗組員全員を海上保安庁のヘリコプターで救助しました。

「シラミズ」号 「シラミズ」号に着船し乗組員をヘリコプターに収容
▲「シラミズ」号 ▲「シラミズ」号に着船し乗組員をヘリコプターに収容
「パインウェーブ」号 「パインウェーブ」号乗組員の吊り上げ救助
▲「パインウェーブ」号 ▲「パインウェーブ」号乗組員の吊り上げ救助

孤立者の救助

被災された方の中には津波による浸水等により孤立した建物に取り残された方々も多くおり、海上保安庁は、巡視船に搭載したゴムボート等を活用し救助を行いました。

孤立した幼稚園児等62名の救助

(平成23年3月12日、宮城県石巻港付近)

孤立した幼稚園児等62名の救助(平成23年3月12日、宮城県石巻港付近)
▲孤立した幼稚園児等62名の救助
(平成23年3月12日、宮城県石巻港付近)

石巻海上保安署職員が同署周辺の建物に孤立者を認めたことから、津波警報が継続される中、監視取締艇(同署所属)と巡視船「いすず」(鳥羽海上保安部所属)の搭載ゴムボートを使用して、幼稚園児を含む孤立者62名を救助しました。


漂流船舶の生存者の確認

津波により多数の漂流船舶が発生し、沖合に流されたことから、海上保安庁は人命救助を最優先として、巡視船艇・航空機により漂流船舶の捜索を進め、無線や拡声器を使った巡視船艇・航空機からの呼びかけや、必要に応じて海上保安官が移乗するなどして、漂流船舶に生存者が取り残されていないかどうかを確認しました。この結果、平成23年3月18日までに173隻の漂流船舶を発見し、全て無人であることを確認しました。翌19日からは、今後の使用可能性や海上交通に支障を及ぼすおそれの有無等を考慮して、大型作業台船や漁船等のえい航救助も行いました。

「生存者無し」の×印をつける特殊救難隊員 転覆船の船底をたたき生存者を確認する潜水士
▲「生存者無し」の×印をつける特殊救難隊員 ▲転覆船の船底をたたき生存者を確認する潜水士
2 急患輸送
監視取締艇から消防職員への患者の引継ぎ(気仙沼港、8月21日)
▲監視取締艇から消防職員への患者の引継ぎ
(気仙沼港、8月21日)

気仙沼市大島では、島民の足であったフェリーが被災しました。そのため、急患の発生時には、気仙沼・本吉地域広域行政事務組合消防本部からの要請により巡視艇等が急行し患者を搬送しました。

地震発生とともに、気仙沼海上保安署巡視艇「ささかぜ」乗組員は、港内の船舶や沿岸部の住民等に対して避難広報を行いつつ、津波による被災を免れるため、同署の小型艇を沖合へ退避させました。被災を免れた同小型艇は、その後、水深の浅い海域でも航行可能という機動性を発揮し、急患輸送等において活躍しました。

巡視艇「ささかぜ」 気仙沼海上保安署所属小型艇
▲巡視艇「ささかぜ」 ▲気仙沼海上保安署所属小型艇
3 行方不明者捜索

津波により多数の犠牲者が発生し、多くの地元住民が行方不明となった地域では、関係機関と連携した一斉捜索を含め、行方不明者の多い地域の海岸部等を中心に重点的な捜索(潜水捜索を含む)を継続して実施しました。また、福島第一原子力発電所周辺の福島県請戸漁港、同県富岡漁港等における水中ソナーによる捜索等も行いました。

平成24年3月11日までにご遺体395体(うち潜水捜索によるもの52体)を収容しました。

沿岸部を捜索する巡視船(平成23年3月16日、宮古市の北北東19km、巡視船「よしの」) 消波ブロックの間を捜索する潜水士(平成23年3月15日、野田湾十府ヶ浦、巡視船「おき」)
▲沿岸部を捜索する巡視船
(平成23年3月16日、宮古市の北北東19km、巡視船「よしの」)
▲消波ブロックの間を捜索する潜水士
(平成23年3月15日、野田湾十府ヶ浦、巡視船「おき」)
行方不明者の潜水捜索

がれきの浮流する海域での潜水捜索は危険を伴い、海底付近での捜索では海底に堆積したヘドロが舞い上がって水中での視界が悪くなります。そのような状況下においても、海底に沈んでいた車両や船舶の内部を捜索し、取り残されていた行方不明者を発見・収容しました。

岩手県田野畑村(平成23年3月19日、巡視船「でじま」潜水士) 宮城県南三陸町志津川湾(平成23年6月16日、巡視船「ざおう」潜水士)
▲岩手県田野畑村
(平成23年3月19日、巡視船「でじま」潜水士)
▲宮城県南三陸町志津川湾
(平成23年6月16日、巡視船「ざおう」潜水士)
原発周辺の行方不明者の一斉捜索
原発周辺の行方不明者の一斉捜索

福島第一原子力発電所から10km圏内に位置する福島県請戸漁港及び富岡漁港では、巡視船艇及び同搭載艇上から、水中カメラ等を使用して水中捜索を行いました。

警戒区域内にある請戸漁港内における潜水捜索については、水中における放射線量の管理に係る基準等が明確でなかったことから、原子力安全委員会等と安全対策を協議の上で実施しました。

水中の放射線量は、通常の海水浴場並でしたが、放射性物質が海底に沈殿していることが判明したため、海底の泥を巻き上げることがないよう細心の注意を払って潜水捜索を実施しました。

防護服を着用して捜索する巡視船乗組員(平成23年5月25日、福島県浪江町請戸漁港) 特殊救難隊・潜水士による潜水捜索(平成23年8月30日・31日、福島県浪江町請戸漁港)
▲特殊救難隊・潜水士による潜水捜索
(平成23年8月30日・31日、福島県浪江町請戸漁港)
▲防護服を着用して捜索する巡視船乗組員
(平成23年5月25日、福島県浪江町請戸漁港)
4 火災消火・危険物対応
コンビナート火災の消火活動
放水中の消防車

平成23年3月11日午後3時47分ころ、余震に伴い千葉コスモ石油製油所(千葉県市原市)のLPGタンクから火災が発生しました。消防船「ひりゆう」(横浜海上保安部所属)及び消防機能強化型巡視艇「あわなみ」(千葉海上保安部所属)が、現場海域に急行し、海上災害防止センター所属の消防船や東京消防庁所属の消防船と連携して消火活動(冷却放水)を行いました。陸上からの消火活動が困難な状況の中、海側から自衛噴霧機能を有した消防船艇により消火活動は効果的に実施され、13日朝には海上からの冷却放水の必要性が低くなったことから、放水作業を終了しました(最終的な鎮火は21日午前10時10分)。

コンビナート火災の消火活動
ガソリンタンク漏油事故への対応
ガソリンタンク漏油事故への対応

平成23年3月17日、宮城県仙台塩釡港(仙台区)臨海部のガソリンタンク漏油事故に対し、巡視艇「しらはぎ」(宮城海上保安部所属)に乗船した機動防除隊員が海上のガス検知等を実施しました。

漂流犬バンちゃん(2才、メス)の保護
漂流犬バンちゃん

平成23年4月1日午後2時20分ころ、行方不明者捜索中のヘリコプターMH619(釧路航空基地所属)が、宮城県気仙沼市本吉町末ノ埼の北約1.8kmの沖合で、漂流している家屋に犬がいるのを発見しました。

飼い主等が家屋内に取り残されている可能性もあり、ヘリコプターから特殊救難隊員が降下し、漂流家屋内を捜索した結果、生存者の発見には至りませんでしたが、特殊救難隊員と巡視船「つがる」の搭載艇により、犬を保護しました。震災発生から、約3週間後の保護となりました。

このニュースはマスコミでも大きく取り上げられたこともあり、飼い主が名乗り出、この犬はバンちゃん(2才、メス)と判明しました。バンちゃんは4月4日に飼い主のもとに届けられました。


VOICE 心の救助
劣悪な環境下での潜水捜索活動に従事した潜水士の声
第二管区海上保安本部宮城海上保安部  巡視船「ざおう」主任機関士 藤田 伸樹

震災当日、私は「くりこま」船内で勤務していた。経験したことのない、大きな揺れに直感的に巨大な津波が来ると感じたことを今でも覚えている。

10月までに「ざおう」潜水班の潜水捜索は164回を数え、水没車両の捜索も135台に達している。発災当時は、海水温度は5℃前後と例年より低く、潜水捜索は低水温との戦いでもあった。水面に浮いている木材はほとんどが倒壊家屋の残骸で、いたる所に釘が突き出ていた。海底にも津波でのみ込まれた家屋の残骸が鋭利な凶器となって散乱していた。

余震も多く、何度か海中で地震を経験した。一番大きな余震時には海底に無数の亀裂が走り、潜水士全員で緊急浮上をしたこともあった。

過去に経験のないほど多くのご遺体を揚収した。テトラポッドの中からの搬出、水深39mの海底からの収容、年齢性別も分からないほど傷んだご遺体もあった。

津波にのみこまれて海底に沈んだ人たちは、我々が捜索し、引き揚げなければ二度と発見されることはないだろう。行方不明者の帰りを待っている人のためにも、精一杯、潜水捜索を行っている。

残された家族に、ご遺体やご遺品を返してあげることによって癒される心情もあることを後輩たちに伝えていきたい。


VOICE 機動救難士として
津波により座礁した貨物船からの112名の吊り上げ救助に従事した機動救難士の声
第五管区海上保安本部関西空港海上保安航空基地  機動救難士 村上 彰宏
機動救難士として

3月11日の夜、東北地方へ派遣される他の機動救難士と共にヘリコプターで関西空港海上保安航空基地を出発し、羽田航空基地に深夜到着した。

仮眠を取ろうとしていたところ、石巻港で津波により建造中の貨物船「トリパン」、「サイダージョイ」が造船所から流されて漂流中との情報が入り、直ちに状況を確認するため出発することとなった。

現場までの途中の眼下にはがれきと化した家々があり、津波被害の悲惨さを思い知った。この時私の気持ちの中には、これから行う救助がどのようなものになるのかという不安と、何とかしたいという思いが湧きあがっていた。

石巻港では漂流した貨物船等から特殊救難隊等と合同で112名を救助することができた。その後も、気仙沼においてビルの屋上から救助を求めている人を発見、15名ずつ2度に分け30名を救助した。3月13日から14日にかけては、石巻市における孤立した被災者の救助を主に実施した。日中上空を飛んでいると、多くの民家から手や旗を振り救助を求めている人の姿を認め、2日間で8軒の民家から22名を吊り上げ救助した。

吊り上げ救助した中には屋根に白い大きな文字で「透析」と書いていた人もおり(後でわかったことだが、文字はマヨネーズで書かれていた)、早く救助ができて良かったと感じることもあった。私たちの活動が今後の復興への架け橋の1つとなっているものと信じている。


VOICE 石巻での孤立者救助
津波により孤立した園児等62名を救助した潜水士の声
第四管区海上保安本部鳥羽海上保安部  巡視船「いすず」機関士補 栗田 国輝

地震直後、「いすず」は宮城県沖に急行した。船内のテレビからは巨大津波が街を呑み込む映像がいくつも流れており、尋常ではない被害が出ていることを感じた。翌12日午前9時ころ、石巻港沖に到着した。冠水した地域に幼稚園児らが取り残されているなど、沿岸部は広範囲にわたって冠水しており多数の孤立者がいるとのことで、潜水士を含む派遣班が編成され、ゴムボートで港に向かった。

救助活動中、30歳ぐらいの女性が、手を腰にあて、「これぐらいの緑色の服を着た男の子を見なかったですか」と尋ねてきた。よく見ると足元は泥だらけで毛布を抱きかかえ目元は赤く腫れていた。私は言葉に詰まり答えることができず、ただその女性をゴムボートに誘導し乗せることしかできなかった。

冠水した地域には、多くの建物の二階部分や屋上から救助を求める手が振られており、日没になれば雪が降りそうな寒さで、けがをした人や高齢者や子どもには危険な状況になると思い、一人でも多く救助したいと全力で作業にあたった。

「いすず」は、日没までゴムボートによる搬送救助を行い、合計62名の孤立者を救助した。


VOICE 千葉港LPGタンク火災の消火活動
懸命に消火活動を行った巡視船乗組員の声
第三管区海上保安本部横浜海上保安部  巡視船「ひりゆう」主任機関士 萩原 剛
千葉港LPGタンク火災の消火活動

東日本大震災発生。消防船である「ひりゆう」は、乗組員を非常呼集し出港、重要施設の見回りに当たった。

午後5時4分、千葉コスモ石油のLPGタンクが爆発。横浜にいた「ひりゆう」からも、空高く火柱が上がったのが見えた。

「行って消したい!」消防船乗組員の血が騒ぐ。

しばらくすると「千葉コスモ石油へ向え」の指令が来た。現場に到着すると、幸いにも死亡者、要救助者はいなかった。

「よし、消すぞ!」

しかし、命令は「消さずに燃え残ったタンクを冷やせ」だった。ガス火災の消火の基本である「ガスの元栓を閉める」ができないらしく、消火してしまえばLPGは空気より重いため、海上や街中に流れると危険であるからだ。

「やるしかない!」

「ひりゆう」は25mプールを10分で一杯にする放水能力を持つ。目標がずれて火を消してしまわないよう冷却放水を開始。午後11時過ぎ、

「再度爆発の危険があるので、離れて冷却放水せよ!」

との新たな命令が来る。「水が届くか…」不安を感じながら、風上から上空に向かって放水する。水しぶきが風に乗って目標のタンクになんとか届いた。

「これでいける!」

翌夕、ガスの安定燃焼が確認され、「ひりゆう」の任務は解除になった。