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▲岩手県釜石市 |
平成23年3月11日(金)午後2時46分、三陸沖(牡鹿半島の東南東約130km付近)を震源とする「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」が発生しました。我が国観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震により、宮城県北部で震度7を観測するなど、東日本の広範囲が強い揺れに見舞われました。
また、この地震による津波は、東日本の太平洋沿岸を中心に、北海道から沖縄県までの日本海側を含む広範囲に押し寄せ、特に東北地方から関東地方の太平洋沿岸では、大津波が襲来し、沿岸集落を飲み込みました。
さらに、福島第一原子力発電所では、この津波による電源喪失によって原子炉の炉心冷却機能が失われたことで、原子力災害をもたらし、周辺地域に放射性物質が放出される事態に至りました。
この巨大地震と原子力発電所事故の複合災害である「東日本大震災」は、死者15,854名・行方不明者3,155名(平成24年3月11日現在)という多くの犠牲者に加え、多くの住民が避難生活を余儀なくされるなど、未曾有の被害をもたらした大震災として歴史にその名を刻むこととなりました。
大津波が釡石港を襲った瞬間
平成23年3月11日、大津波が岩手県釜石港を襲った様子を釜石海上保安部職員が釜石港湾合同庁舎から撮影しました。大津波は、港の防波堤を乗り越え、激流となって市街地を飲み込みました。その後、海底が露出するほどの引き波が起こり、再び、大津波が押し寄せました。合同庁舎の職員は屋上へ避難していましたが、津波により漂流を始めた大型貨物船の巨体が庁舎の方へ迫って来ました。合同庁舎は大量の水に囲まれ、職員の逃げ場所がなく大変危険な状況に陥りましたが、貨物船はぎりぎりで庁舎から逸れ、難を逃れました。
VOICE 「操舵不能!」〜「舵が効いています」
襲来する津波の中、危機一髪で緊急出港した巡視船船長の声
第二管区海上保安本部釡石海上保安部 巡視船「きたかみ」船長 及川 邦夫
基地で燃料搭載中、船底を突き上げる音と振動に襲われ、波立つ海面に船が前後に走りだした。「地震だ」しかも長い。
「とうとうきたか!」必ず大きな津波が来ると確信した。
「燃料搭載止め、出港用意!」明治・昭和の三陸大津波では早い地域で30分以内の到達記録がある。錨を揚げる中、水位がどんどん下がる。まさに時間との闘い。錨を引きずりながらも航走を開始した。港口手前約700mで来襲する津波第一波を確認、船橋内に緊張が走り「総員救命胴衣着用」の指示を出し、津波に対し船首を直角に向けた。港口手前200mで押し戻され始めた瞬間、右舷に大きく傾き「舵が効きません、操舵不能です…」の報告。「きたかみ」はもの凄い勢いで流され始めた。
前進全速を号令、徐々に速力が得られ「面舵一杯。舵は?」操舵手から「舵が効いています」の報告。巨大な滝のように来襲する津波に向け横になったら流されると思い、船首を津波に向けることだけに神経を集中した。「この状態がいつまで続くのか…」数分後、壁のような押し波が一瞬、平らになった。「よし。出る。前進全速」港口手前200mに再度接近したところ、今度は港内の水が猛烈な勢いで港外へと流れ出した。「きたかみ」はその引き波に乗り、無事港外へと出ることができた。「舵が効いています」の言葉と、船齢31年の「きたかみ」に感謝である。
巡視船「まつしま」、大津波に遭遇!
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▲巡視船まつしまレーダ映像 |
平成23年3月11日午後3時49分ころ、巡視船「まつしま」(宮城海上保安部所属)は、福島県相馬市の沖合約5km海上において大津波に遭遇し、そのときの様子を撮影しました。
「まつしま」は、津波を横から受けないよう、押し寄せる大津波に対して船首を垂直に向け、また乗り越える際は速度を落として安全を確保しつつ、幾重にも連なる10mを超える大津波を乗り越えました。
その後、「まつしま」は沿岸に戻って捜索救助活動を行いました。
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VOICE 震災の記憶
沖合で大津波を乗り越えた巡視船「まつしま」乗組員の声
第二管区海上保安本部宮城海上保安部 巡視船「まつしま」主計士補 三上 達也
長期のしょう戒業務も最終日に近づき、そろそろ基地へ帰れると思ったまさにその日の出来事だった。激しく長い揺れが収まりラジオをつけると「大津波警報」と放送されていた。当時、「まつしま」は福島県相馬港内で錨を降ろしていたので、緊急出港した。
津波到達予想時刻を過ぎてもほぼ海面に異変はなく、ほっとしたのも束の間、「まもなく津波第1波が到着する、衝撃に備え身体を保持せよ!」という船内放送。私が操舵室へ入ると大津波が迫ってきていて、まるで一面「壁」が向かってくる様だった。私は姿勢を低くして手すりにつかまり身体を保持した。「もしかしたら転覆するのでは…」というとてつもない恐怖を感じた。
救助のために沿岸へ戻った時に見た光景は悲惨だった。海域一面が油やがれきまみれで、何軒もの家が丸ごと海に流されて屋根だけ海面に浮いているという光景は、この先もずっと忘れることができないだろう。
行方不明者捜索において、浮かんでいるがれきの隙間から行方不明者を数多く発見したが、助けられなかったことへの悔しさを感じたり、また、我々自身も被災したりと、とても辛い思いをした。
しかし、避難生活をしている方々からのたくさんの励ましや、被災しても必死に業務に当たっている「まつしま」乗組員の姿を見て、「なんとか助かった我々はしっかり任務を果たさなければいけない」と思い、今も行方不明者捜索を続けている。