1 救援物資等の緊急輸送
海上保安庁の巡視船艇・航空機は、その機動力を活かし、食料、燃料等の救援物資輸送や消防団、自衛官、その他救助機関関係者等の人員輸送を実施しました。
特に、離島や孤立した地域などに必要な救援物資、災害支援要員を輸送することにより、被災者の生活維持に重要な役割を果たしました。
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▲中学校校庭に緊急救援物資を届ける海上保安庁ヘリコプター (平成23年3月20日、宮城県南三陸町) |
▲救援物資を輸送し、自衛隊トラックに引き継ぐ巡視船 (平成23年3月19日、宮城県仙台塩釜港) |
VOICE 消えない言葉、消えない姿
第二管区海上保安本部庁舎に避難した住民への対応に従事した職員の声
第二管区海上保安本部総務部 総務課企画係 宮下 ちさと
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▲被災者の受け入れ状況(塩釡港湾合同庁舎) |
「え、まだ続くの?」 「10メートルの津波を観測!」
「火のついた漂流物が、庁舎に向ってきています!」
「ねぇちゃん、ありがとな」
あの地震の最中に私が発した情けない一言と、司令室で聞いた巡視船や気仙沼保安署からの無線、そして、第二管区海上保安本部庁舎に避難してきた市民の方からの言葉。
1年経っても私の中から消えない言葉です。
「6mの津波が来るので5階以上に避難させろ!」という指示が飛び、お年寄りに声をかけながらなんとか階上へ避難させる職員。
避難者に、備蓄食料を配給し、自分たちの分がなくなってしまった時に「ま、しょうがないよね」と苦笑した職員。
避難してきた人にありったけの毛布を渡し、自分は、毛布が入っていたダンボールで床や椅子で眠る職員。
自分のことを孫と間違えているお年寄りに寄り添い、落ち着かせる職員。
「ありがとうねぇ、安心するわー」と、くしゃっと笑うおばあちゃん。
介護経験ゼロながら、どうにかしたいと、経験者にやり方を聞いていた若い職員。
各地から届く心のこもった支援物資。「何か必要なものある?」と聞いてくれ、「俺たちは被災してないところに帰れるから、気兼ねしないで頼ってください」と言ってくれた他管区からの応援職員。
近所のかまぼこ工場は、かまぼこを提供してくれ、さらに、常温保存可能なおでんを大量に差し入れしてくれた。あの時のおやっさんの「お互いさまだからよっ!」っていうあの顔。
当時は、わずかな睡眠で、結構きつかったはずなのに、消えない言葉とともに思い出すのはそういう職員や、近所の人の姿や笑顔ばかりです。
第二管区海上保安本部は震災当日、塩釡港湾合同庁舎付近の住民に対して庁舎内に避難するよう呼びかけて、495名を同庁舎大会議室等に受け入れました。石油ストーブ等により寒冷対策を行うとともに、非常用物資として保管してあった食料、飲料水、毛布等を提供しました。
同本部職員が対応した被災者数は、延べ1,075名に上りました。
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2 現場支援
海上保安庁では、地方自治体の要請等を受け、巡視船の浴室を被災された方々に開放したり、清水や燃料等を提供するなどの現場支援も行いました。
また、陸上からアプローチしにくい離島や岬の突端部等の集落に海上保安官がヘリコプターで降下して、必要な物資を提供したり、要望を調査して地方自治体等に情報提供するなどの支援も行いました。
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▲ヘリコプターから機動救難士が降下して、孤立避難所を調査 (3月25日、宮城県牡鹿半島等) |
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▲釡石市の依頼により、市民50名に対して巡視船が入浴支援 (3月21日・22日、岩手県釡石港) 巡視船による入浴支援は、3月22日から4月5日までの間に、 計4回延べ117名(男性43名、女性74名)に対して実施しました。 |
▲福島県の依頼により、巡視船搭載の軽油40klを提供 (3月22日、福島県小名浜港) |
VOICE 被災した保安部職員の闘いを支えた使命感と絆
庁舎が被災しながらも、懸命に指揮をとった保安部長の声
前第二管区海上保安本部釡石海上保安部長(現第四管区海上保安本部交通部長) 榎本 猶一
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▲巡視船内で保安部業務を実施 |
大津波警報発令。地震から30分後、津波は4mの防波堤をはるかに超えて来た。「これは大きいぞ」と思い1分も経たないうちに庁舎2階天井まで押し寄せ、家や車を破壊し呑み込んでいった。壊滅してゆく街を眼下に、茫然としながらも所属船に漂流者の救助を命じた。被災しながらも、未曾有の大災害との戦いが始まった。
保安部が壊滅的被害を受け、指揮機能を巡視船に移した。翌日には続々と派遣巡視船が到着し、本格的な活動が始まった。やるべきことは山ほどあったが、職員の中には家族を亡くした者や家を失った者がおり、資器材も流され初動の態勢は決して十分ではなかった。本庁等の支援を受け、次第に態勢も整い、捜索救助、被災者の支援等、職員一丸となって取組むことができるようになっていった。組織の強い絆を感じた。
行方不明者の捜索は困難を極めた。沿岸の被災現場を職員達が「一人でも多く家族のもとに帰したい」と、必死に津波の瞬間の目撃者を探した。ここでバスが波にのまれたとか、あそこで避難中の船が転覆したとか。これらの情報を分析して捜索場所を決定し、潜水士は冷たいがれきの海に次々と潜った。
皆、朝早くから夜遅くまで働き、疲れ果てていたが、活動を支えたのは、「この大災害に対応できるのは自分達だけ」という使命感と、ライフラインが止まった中で互いに助け合い子供や家を懸命に守る家族との絆だった。
津波は必ずまた何処かで発生する。経験を伝えることが使命だと思っている。
秋の日本海で巡視船体験航海「がんばろう日本!!」
第九管区海上保安本部
第九管区海上保安本部では、平成23年10月2日、「がんばろう日本!!」と題した巡視船体験航海を新潟港沖合で実施しました。この体験航海は、東日本大震災に遭われ、新潟市で慣れない避難生活を送っている方々を優先的に招待し、巡視船への乗船を通じて、秋の日本海を満喫していただくとともに、海上保安業務への理解を深めていただくことを目的として計画されたものです。当日は、新潟海上保安部所属のヘリコプター搭載型巡視船「えちご」に、午前、午後合わせて1,619名(うち避難者は292名)が乗船し、一日海上保安官の任命、船内外の見学、巡視船艇・航空機による人命救助訓練等が行われました。
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海上保安官の卵、被災地でボランティア活動!!
海上保安大学校、海上保安学校
海上保安大学校及び海上保安学校の学生は、日本財団が実施している被災地支援のための大学生ボランティア活動に積極的に参加しました。これまでに、ゴールデンウィークや夏季休暇期間等を利用(計5回)して82名の学生が参加し、主に宮城県の石巻市や気仙沼市等において、流出した牡蠣の養殖施設の回収や復旧作業等の支援を行いました。こうした未曾有の大災害の現場における支援活動は、将来、国民の奉仕者として海上保安業務に従事することとなる学生にとって、貴重な経験となりました。