第1章 海上治安の維持
T 海上における法秩序の維持 10年は、海上における犯罪の予防及び法令の励行を図るため、旅客船等に対する海上保安官の警乗や約73,300隻の船舶に立入検査を実施した。海上犯罪の取締りについては、刑法犯、薬物・銃器事犯、不法出入国事犯、海上環境関係法令違反の摘発、海難の発生に直接結びつくおそれのある海事関係法令違反や組織的な漁業関係法令違反の取締りを重点事項として実施し、7,982件の海上犯罪を送致するとともに、その違反の態様が軽微で是正の容易な3,069件の行政関係法令違反について、警告措置を講じた(第2―1―1図参照)。
1 海事関係法令違反
10年の海事関係法令違反の送致件数は4,053件であった。このうち、プレジャーボート等の小型船舶に係るものが2,755件(68.0%)と最も多く、次いで漁船(731件)、貨物船(344件)の順になっている。
海事関係法令違反については、無検査船舶の運航、無資格者による船舶の運航、貨物船等の満載喫水線超過載荷、プレジャーボート等の最大搭載人員超過搭載等、特に海難の発生に直接結びつくおそれのある事犯に重点を置き、関係機関と密接な連携を保ちつつ指導取締りを実施している。
年末年始やゴールデンウィークには、海上旅客が増加し、また、釣り等の海洋レジャー活動が活発化するため、全国一斉に指導・取締りを行い、法令の励行及び安全の確保に努めている。
2 漁業関係法令違反
10年の漁業関係法令違反の送致件数は1,180件、うち日本人によるものは1,163件であり、そのほとんどが無許可操業や区域外・期間外操業等のいわゆる密漁事犯であった。
近年の密漁事犯は、ますます悪質・組織化しており、中には暴力団が関与する大掛かりな密漁も行われている。
また、沖合における密漁は、監視取締りの目が十分には届きにくいことから、禁止区域で操業を行っていながら航海日誌等の書類を改ざんするなど証拠隠滅を図ったり、取締りに当たる巡視船艇等の動向を互いに通報するなど、組織的かつ巧妙に行われる悪質な違反が多い。
これらの密漁事犯は、漁業紛争を引き起こしたり、水産資源の枯渇につながるおそれが強いので、漁業関係者に対する防犯指導を徹底する一方、巡視船艇・航空機による厳重な監視取締りを行い、密漁の防止に努めている。
地方公共団体、漁業関係団体との間において密漁事犯の情報交換、密漁防止に関する指導・啓発活動への協力など関係機関との連携強化を図るとともに、合同取締りを実施している。
(外国人漁業関係法令違反については、第1部3章の3を参照。)
3 刑法犯
10年の海上における刑法犯の送致件数は1,194件であった。これを罪種別に見ると、業務上過失往来妨害事犯が1,026件(86.0%)とその大半を占め、次いで業務上過失致死傷事犯(105件)、殺人及び傷害等の事犯(32件)、業務上失火等の事犯(12件)の順になっている。
(1) 海難事件
船舶の衝突、乗揚げ等の海難が発生した場合は、業務上過失往来妨害や業務上過失致死傷などの刑事責任を明らかにするために必要な捜査を行っている。このうち、衝突していながら相手船に自船の船名等を告げず、また関係機関に対しても衝突事実を通報することなく航行を続けるといったいわゆる当て逃げ事件が、10年は40件発生した。
当て逃げ事件の特徴として、当て逃げされた船は漁船(72.5%)が多いことが挙げられるが、これは、漁船は操業中等で見張り不十分により他船の接近に気が付かないことも多いことが一因であると考えられる。また、この場合、漁船の乗組員が死傷することも多く、当て逃げ事件の人身被害者総数11人のうち7人が漁船の乗組員であった。
当て逃げ事件は、夜間発生したり、目撃者がいない場合や当て逃げされた船が沈没した場合には、事件の認知までに相当の時間を要するとともに、手掛かりとなる証拠品もわずかであること等により、衝突相手船の割り出しが極めて困難な場合が多いが、巡視船艇・航空機の緊急配備、広域手配、塗料鑑識装置を用いた科学捜査等によって、検挙に努めており、10年においては63%を検挙した。
<事例>
11年2月5日早朝、千葉県野島埼沖において、操業中のまき網漁船「第五三菱合同丸」の曳いていたロープに船名不詳の船舶が突っ込み、「第五三菱合同丸」は転覆、沈没し、乗組員1名が死亡、船名不詳の船舶は、そのまま走り去るという事故が発生した。
下田海上保安部及び勝浦海上保安署では、直ちに衝突海難事件として捜査に着手し、関係者からの事情聴取、切断ロープに付着していた塗料の鑑定を行い、全力で逃走船の割り出し作業に当たっていたところ、砂利運搬船「第八栄福丸」が事故発生当時、付近海域を航行中であることが判明した。
このため、潜水士により同船船底の調査を行ったところ、船底に数条の擦過痕が確認され、切断ロープに付着していた塗料と同船船体塗料が一致したことから、「第八栄福丸」を衝突相手船舶と特定し、同船甲板員を業務上過失致死等の容疑で通常逮捕した。
また、海難事件の中には、保険金を目当てに故意に船舶を沈没させるなどの場合もあるので、あらゆる角度から綿密な捜査を行っている。
さらに、近年の海洋レジャーの進展に伴い、プレジャーボート等の海難が跡を絶たない状況にあるため、関係者に対して法令の励行を徹底させるほか、事故が発生した場合は必要な捜査を行っている。
(2) 海上における人身犯
10年の海上における人身犯は、殺人0件、殺人未遂4件、傷害20件、暴行3件であった。
殺人等の凶悪犯罪には、本邦を遠く離れた洋上で発生する事例も多く、このような場合には、船内の秩序維持、証拠保全、被疑者の引取りなどのため、必要に応じて海上保安官を現地に派遣している。
また、その犯行の動機や原因を見ると、狭い船内での長期にわたる単調な生活と過酷な労働によるストレスの蓄積、あるいは外国人漁船員の雇用が進む中での言語、習慣の違いを遠因とした、飲酒の上での口論や船内生活上のトラブルが引き金となって犯行に及ぶという事例が多い。
このため、関係団体等を通じて、明るい職場環境づくり、刃物類等凶器となるおそれのある物の保管管理の徹底等を指導している。
<事例>
「10年5月24日0400頃(日本時間)、インド洋の公海上において操業中の遠洋まぐろ延縄漁船「第126欣栄丸」の船内で、インドネシア人乗組員数名が、日本人司厨長に対し、包丁で切りつける等して重傷を負わせた」との情報を入手した釜石海上保安部は直ちに事実関係を確認するとともに、同船が入港するスリランカに海上保安官3名を派遣した。
派遣海上保安官による調査の結果、司厨長から叱責されたことに憤慨したインドネシア人乗組員4名が、共謀して同人を殺そうとし、まぐろ解体用出刃包丁等で数度にわたり切りつけたが、同人の必死の抵抗により、全治6か月の傷害を負わせるに止まったことが明らかとなった。
このため、船主等の協力を得て、被疑者4名に本邦への任意同行を求め、空路、成田に到着した同人等を通常逮捕した。
4 その他の法令違反
10年におけるその他の法令違反の送致件数は350件で、そのうち砂利採取法違反が214件であった。
U 海上紛争等の警備と警衛・警護
1 海上紛争等の警備
10年は、外国艦船の入出港に伴う警備、核物質の海上輸送に伴う警備、原子力発電所及び空港の建設に伴う紛争等に関連した警備、米軍基地問題に係る警備等合計653件を実施した。
10年8月の米空母キティホーク横須賀配備、11年4月のむつ小川原港における第4回高レベル放射性廃棄物返還輸送に対する抗議行動等に見られるように、米軍に係る動向、核物質の海上輸送等に対する反対運動は、依然として活発に行われている。9年6月の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)見直しの中間報告の公表後は、米艦船の本邦寄港等を、ガイドラインの先取りととらえた反対運動が活発に行われており、11年5月ガイドライン関連法案が国会で可決されたことから、反対運動は更に活発化の兆しを見せている。
<事例>
10年8月11日、米海軍空母キティホークが在日米軍横須賀基地に配属になり入港した。これに対し、革マル派、市民グループ等の反対派116名が、「日米共同の戦争執行体制を打ち砕く」等と称し、借り上げた遊漁船、ゴムボート等32隻の船舶を使用してシュプレヒコールを行う等の海上抗議行動を展開した。
海上保安庁では、巡視船艇等延べ100隻、航空機2機による大規模な警備を実施した。
また、10年9月には革共同中核派が成田闘争等の一環として運輸省職員宅爆破事件を引き起こすなど、過激な行動をとる集団による時限式発火装置等を使用したテロ・ゲリラ行為も依然として行われており、海上でのテロ・ゲリラの可能性も懸念される。
このため、海上保安庁では、警備実施強化巡視船(警備実施体制の整備・強化を図るために特に指定した巡視船)を始め、巡視船艇・航空機による警備実施訓練・研修を行うなどにより、警備実施体制の強化を図り、海上における公共の安全の確保と秩序の維持に努めている。
2 警衛・警護
10年は、天皇皇后両陛下の第18回全国豊かな海づくり大会(徳島県)御臨席に伴う警衛を始め天皇陛下及び皇族方に対する警衛45件、国内外要人に対する警護51件を実施した。
特に、10年11月のクリントン米国大統領来日に際しては、巡視船艇延べ34隻を羽田空港周辺海域に投入するなどして、大統領の警護を行った。
また、12年7月に主要国首脳会談が周囲を海で囲まれた沖縄県で、外相・蔵相会談が九州で、それぞれ開催されることになっていることから、海上保安庁では、海上警備に万全を期すため、11年5月「海上保安庁九州・沖縄サミット海上警備準備対策本部」を設置し、所要の準備を進めている。
3 特殊警備事案への対応
海上保安庁では、シージャック、サリン等の有毒ガス使用事案等高度な知識及び技術を必要とする特殊な海上警備事案に迅速かつ的確に対処するため、大阪特殊警備基地を設置している。同基地では、特殊警備隊が、地下鉄サリン事件、在ペルー日本大使館公邸占拠事件等の発生を踏まえた所要の訓練を実施しており、24時間体制で海上における特殊警備事案の発生に備えている。 |