第3章 迅速・的確な海難救助体制の構築に向けて
 海上における遭難・安全通信システムは、11年2月から「海上における遭難及び安全に関する世界的な制度(GMDSS)」の体制に移行する。また、「1979年の海上における捜索及び救助に関する国際条約(SAR条約)」により、捜索救助の分野における世界的な協力体制が構築されてきている。このような世界的枠組みの中で、海上保安庁は、捜索救助に関し、隣接国との協力・連携を強化する一方、高度な救助技術を要する海難に対しては特殊救難隊を中核とする特殊救難体制の充実、強化を図っている。また、近年多発する海洋レジャー海難等多種多様の海難に迅速・的確に対応するとともに、民間の救助体制の整備等官民一体となった救助体制の構築にも努めている。

第1−3−1図 海難救助体制の概念図

 海上保安庁では、多種多様な海難に対応するため、関係機関と協力し、海難救助体制の構築を図っている。

 1 全世界的な救助体制下における協力・連携の推進

 大正元年の英国客船タイタニック号の遭難事件を契機として導入されたモールス無線電信を主体とした遭難・安全通信システムは、その後広く普及し、有効に機能してきたが、遠距離通信に対応できないこと、突然の船舶の転覆等に際しては遭難信号が発信されない場合があること等の問題点が指摘されていた。
 このため、国際海事機関(IMO)において海上における遭難・安全システムの改善が検討され、63年「1974年の海上における人命の安全のための国際条約」(SOLAS74条約)の改正によって「海上における遭難及び安全に関する世界的な制度」(Global Maritime Distress and Safety System:GMDSS)が4年2月から導入されることとなった。
 GMDSSでは、衛星通信技術やデジタル通信技術を利用することにより、船舶は世界のいかなる海域で遭難しても捜索救助機関や付近航行船舶に対して迅速かつ確実に救助要請を行うことが可能となったほか、陸上から提供される海上安全情報も自動受信方式により確実な入手が可能となった。
 また、海上において遭難者の国籍を問わず効果的な海難救助を行うため46年9月、政府間海事協議機関(IMCO、現在の国際海事機関(IMO))は検討を開始し、その後、54年に「1979年の海上における捜索及び救助に関する国際条約」(SAR条約)を作成した。この条約は締約国に対し、海上における遭難者を迅速かつ効果的に救助するため、沿岸国が自国の周辺海域において適切な捜索救助活動を行うよう国内制度を確立するとともに、隣接国との間で捜索救助に関する協力についての協定を締結するよう要請している。
  (1) GMDSS体制下における国際的な協力
 本邦からおよそ1,200海里にも及ぶ広大な捜索救助海域を有する我が国にとって、捜索救助業務を迅速かつ的確に実施し、国際的な責任を果たすためには、GMDSSの導入が必要不可欠であったことから、海上保安庁では、元年度から順次関連陸上施設の整備を行い、6年度までに完了し、すでに運用を開始している。
 また、巡視船艇等においてもGMDSSに対応する通信機器の整備を順次進めており、11年1月末までに完了させることとしている。
 さらに、GMDSSを構成する中核的なシステムの1つであるコスパス・サーサットシステムにおいて、我が国の業務管理センター(Mission Control Center:MCC)が属していた米国の基幹MCCの情報量が増加し関係国への情報伝達の遅延が懸念されたことから、コスパス・サーサット理事会から我が国に対して基幹MCCの設置要請がなされた。
このため、海上保安庁では関連施設の整備を行い、全世界に5つ設置された基幹MCCの中の北西太平洋地区を担当する基幹MCCとして9年9月から運用を開始した。これにより、地区内の他のMCCへ遭難警報データの集配信、運用指導等を行う一方、他の地区の基幹MCCとの間で遭難警報データの送受信を行うなど、国際的な海難救助体制の中で極めて重要な役割を担うこととなった。
これらシステムの中で特にコスパス・サーサット衛星により遭難信号が検出され、捜索を実施し、救助に結びついた海難としては、9年8月19日鹿児島県佐多岬西南西約240海里付近海上で発生したパナマ貨物船「ANATORI 1」(15名救助、4名行方不明)の浸水海難、同年10月27日に野島崎沖で発生したパプアニューギニアのタグボート「KARLOCK」(10名全員救助)の浸水海難等がある(第1―3―2図参照)。

第1−3−2図 GMDSSにおける海上保安通信

  (2) SAR条約体制下における隣接国との協力・連携
 我が国は、60年6月にSAR条約に加入し、61年12月には、米国との間で・日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の海上における捜索及び救助に関する協定・(日米SAR協定)を締結した。この結果、本邦から1,200海里に及ぶ広大な海域を我が国の捜索救助区域として担当することとなり、これに対応するため、62年度の補正予算でヘリコプター1機搭載型巡視船の増強及び長距離捜索救難機2機の整備を図ったのをはじめ、逐次体制の整備を進めてきている。さらに、元年1月、海上保安庁と米国沿岸警備隊との間で、具体的な協力方法について定めた「日本国海上保安庁とアメリカ合衆国沿岸警備隊との捜索及び救助に関する協力のための指針」を作成し、具体的かつ円滑な捜索救助活動の実施を図っている。なお、現在、日米SAR協定を改正し、太平洋の一部水域において重複している両国の捜索救助区域を我が国の捜索救助区域とする方向で米国と調整を行っている(第1―3―3図参照)。

第1−3−3図 我が国の担任区域図

 韓国との間では、2年5月、SAR条約の趣旨に沿った「日本国政府と大韓民国政府との間の海上における捜索及び救助並びに船舶の緊急避難に関する協定」(日韓SAR協定)を締結しているが、7年9月に韓国がSAR条約に加入したことを踏まえ、今後の捜索救助に関する両国間のより一層の協力を図るため、協定の内容について検討を行っている。
 ロシアとの間では、5年10月、旧ソ連との間で締結していた日ソ海難救助協定に関連し、SAR条約の趣旨に沿った「海上における捜索救助の分野における日本国政府とロシア連邦政府との間の協力の一層効率的かつ円滑な促進のための措置に関する覚書」を交わし、さらに6年7月、具体的な協力方法等について定めた「海上における捜索及び救助に関する日本国海上保安庁とロシア連邦運輸省海運局国家海洋救助調整本部との間の協力のための指針」を作成し、日ソ海難救助協定の円滑な実施を図るとともに、日ロ合同捜索救助訓練をこれまでに2回実施し、捜索救助に関する両国間の一層の協力促進に努めている。なお、中国との間においても、日中SAR協定を早期に締結するため実務者による協議を行っている。
 一方、我が国は、SAR条約の勧告に基づき、60年10月から船位通報制度(Japanese Ship Reporting System:JASREP)を導入している。この制度は、参加船舶から提供される航海計画や航行中の船舶の位置等の情報をコンピューターで管理することにより、その船舶が遭難している場合に捜索位置の推定を容易にし、巡視船の早期派遣等ができるようにするとともに、他の船舶が遭難した場合には迅速に参加船舶に対し捜索救助の協力の要請ができるようにするものである。
 この制度への10年3月までの延参加隻数は約30万隻にのぼっており、本制度の最近の成果としては、9年5月21日に小笠原父島の西約150海里付近海上で発生した台湾漁船「KIN TON LONG 612」の火災海難において、JASREPで検出された付近航行中の日本漁船が海上保安庁の要請により現場に急行し、乗組員10名を全員無事救助した事例がある。

 2 特殊な海難に対する救助体制整備の推進

 遭難船からの生存者の救助や水中実況見分等を安全、的確に実施するため、44年1月に巡視船自給気潜水実施要領を定めるとともに、1チーム4名で構成する潜水チームを各管区の巡視船に配置した。その後49年11月9日、浦賀水道中ノ瀬航路北端付近においてタンカー「第拾雄洋丸」と貨物船「パシフィック・アリス」が衝突し、積荷のナフサが流出炎上、多数の乗組員が死亡するという大惨事が発生した。この事故を契機として、海上における危険物積載船の海難その他の特殊な海難(転覆・沈没・火災船内からの人命救助、船舶が接近困難な現場におけるヘリコプターからの降下等による人命救助等を要する海難)への対応が求められることとなった。このため、50年10月、第三管区海上保安本部に高度な救難技術を有する1隊5名からなる特殊救難隊が発足された。その後、同隊は61年4月に同本部羽田特殊救難基地として体制強化されるとともに、現在では5隊30名体制で全国に発生する特殊海難に24時間体制で備えている。
 最近では、9年7月26日、和歌山県潮岬南東約13海里を航行中の自動車運搬船「やまと丸」が、台風9号直撃による大時化のため高波を船橋に受けた事故について、船橋前面の窓ガラスの破損により負傷した船長等乗組員6名をつり上げ救助するとともに、荒天下、難航する同船を安全な海域に誘導する等二次災害を防止した事例がある。
 また、59年には、転覆船の沈下防止措置、火災船からの人命救助等、より高度な知識・技術を必要とする特殊な海難における救助能力の強化を図ることを目的として、潜水指定船の中から11隻の救難強化巡視船を指定し、救難資器材の整備、研修・訓練の強化及び潜水士の増員を図っており、特殊救難隊を中核として救難強化巡視船、潜水指定船からなる海上における特殊救難体制の充実、強化に努めている。
 さらに、救急救命士法が制定されたことを契機として、4年4月から救急救命士の養成を開始し、6年4月に羽田特殊救難基地に2名を配置したのをはじめとして、10年6月現在、羽田特殊救難基地及びヘリコプター搭載型巡視船に計10名を配置している。

 3 官民一体となった救助体制の構築

 近年、プレジャーボート等の海難が増加傾向にあることから、海上保安庁は、これら沿岸部における海難に対応するため、巡視船艇・航空機によるパトロールを実施するほか、海洋レジャーの盛んな江ノ島湘南港に3年4月「湘南マリンパトロールステーション」を開設するなど救助体制を充実・強化している。また、民間の救助組織との協力・連携を推進し、沿岸部に空白のない救助体制を構築するため、民間による救助体制の整備に対し、積極的に支援・指導を行っている。
  (社)日本水難救済会(注)は、9年12月、沖縄県慶良間列島で発生した旅客船「クイーンざまみ」の乗揚げ海難において乗員乗客計116名全員を救助するなど、これまでに数々の実績をあげているところであるが、更に救難体制を強化するため組織等を見直し、体制の強化を図っている。
 また、同協会は、60年10月から洋上の傷病者に対する医師の往診制度である洋上救急事業を開始している。この事業に対して海上保安庁は、洋上の船舶上で傷病者が発生し緊急な加療が必要な場合に、医師、看護婦等を巡視船・航空機により現場へ急送するとともに、ヘリコプターにより傷病者を巡視船等に収容し、できるだけ速く陸上の医療施設に搬送する措置を講じている。
 本制度が開始されてから10年8月末までに416名の傷病者に対して医師・看護婦等743名を派遣しているが、これらの中には、本邦から1,000海里以上も離れた海域にある船舶や外国船舶への往診ケースも多く見られる。
 一方、3年7月に設立された(財)日本海洋レジャー安全・振興協会は、海上保安庁の指導の下、4年7月から、会員制のプレジャーボート救助事業「BAN」(Boat Assistance Network)を東京湾及び相模湾から伊豆諸島の神津島付近までの海域で運営してきており、8年7月からは新たに、大阪湾及び播磨灘と紀伊水道北部の海域においても開始した。
 また、同協会では、医療機関や潜水指導団体等の協力を得て、4年1月から会員制のレジャー・スキューバ・ダイビング事故に対する応急援助事業「DAN JAPAN」(Divers Alert Network of Japan)を運営し、事故現場や搬送途中における応急措置法のアドバイス、潜水病患者の受け入れが可能な再圧治療施設を有する医療機関に関する情報の提供等を行っている。

注 日本水難救済会 明治22年に立され日本周辺水域の海難を含めた水難を救助する公益法人であり、全国約580個所に救難所及び同支所を配置して約2万8千人の救難職員を擁して、ボランティアとして、海難救助活動等に当たっている。