第2章 海難ゼロを目指して
 海上保安庁では、「海難ゼロへの願い」をスローガンに海難防止に努めており、このところ海難発生隻数は減少してきている。しかしながら、外国船舶による海難は横這い状態であり、海難全体に占める割合を見れば増加傾向にある。その背景として、近年、外国船舶の入港隻数が大幅に増加していること等が挙げられる。
 また、船舶交通のふくそうする東京湾、伊勢湾及び瀬戸内海の海上交通安全法に基づく管制船舶の船舶交通量を見ると、外国船舶は、ここ10年増加傾向にある。さらに依然として、これらの海域では、タンカー等の危険物積載船等多くの船舶が航行している。このため、海上交通センターの運用をはじめ様々な航行安全対策を講じてきているが、9年7月には東京湾で大型タンカー「ダイヤモンドグレース」の底触・油流出事故が発生するなど、厳しい状況が続いている。
 一方、近年の海洋レジャーの活発化により、プレジャーボートの隻数が年々増加しており、プレジャーボートの海難も増加している。
 このため、海上保安庁としては、海難の発生状況等に的確に対応して、外国船舶の安全対策、東京湾等のふくそう海域における安全確保、航海用電子海図の整備、プレジャーボートの安全対策等の対策に強力に取り組んでいくこととしている。

1,000トン以上の船舶の海難では約7割が外国船舶

 過去5年間(5年〜9年)の合計で総トン数1,000トン以上の救助を必要とする海難に遭遇した船舶(以下「要救助船舶」という。)の状況を見てみると、下のグラフで示されるように外国船舶が421隻で日本船舶の192隻と比べて著しく多いことがわかる。
 外国船舶と日本船舶の海難種類別隻数を見ると、総トン数1,000トン以上の外国船舶では、乗揚げ、機関故障が多く、日本船舶で多く見られる衝突は外国船舶の中では、比較的割合が小さくなっている。
 また、外国船舶の海難種類別の割合を日本船舶と比べると、機関故障、舵故障、火災が大きくなっている。

第1−2−1図 過去5年間の総トン数1,000トン以上の船舶の海難種類別隻数(5年〜9年の合計)

 1 外国船舶安全対策の強化

 1997年版日本商船船腹統計((社)日本船主協会)によれば、日本商船船腹量(100総トン以上の鋼船で漁船・官庁船・その他特殊船を除く。ただし内航定期交通船を含む。)は、厳しさを増す経営環境の中で、元年末の4,117隻が9年末には3,275隻と急激な減少傾向にある。一方、特定港(全国で86港)への船舶入港隻数(20総トン以上)については、元年以降ほとんど横這いではあるが、外国船舶については、元年に約7万8千隻が、9年には約10万4千隻と大幅に増加している。また、これらの外国船舶の中には、適切な運航管理がなされていないもの、我が国周辺海域の気象、海象等に不案内な船員を配乗したもの、老朽化したもの等重大な問題を抱えているものが見受けられる。
 海上保安庁では、我が国に寄港する外国船舶に対し、日本船舶と同様に航行安全指導に努めているが、最近10年を振り返ってみると、日本船舶の要救助船舶隻数が減少傾向にあるのに対し、外国船舶では毎年約150隻発生しており、その割合が全要救助船舶隻数の約1割を占めるまでに増加している。また、貨物船、タンカーに限定してみると、9年には昭和60年代初めでは2割であったものが4割に、また同様に総トン数1,000トン以上の船舶では6割であったものが7割以上を外国船舶が占める状況となっており、いずれもここ10年間で大きく増加している(第1―2―2図参照)。

第1−2−2図 過去10年における要救助船舶の割合の推移

(総トン数1,000トン以上の要救助船舶 台風及び異常気象下のものを除く。)

  (1) 最近の外国船舶の海難事例とその対応
 3年12月7日、霧のため視界が100メートル以下となった関門海峡(小倉沖)において、韓国船籍貨物船「チュン・キュン」と日本船籍プッシャーバージ「二十一日之出丸」が衝突、「チュン・キュン」は沈没し、積荷のコンテナと燃料油が流出した。
 門司海上保安部では、海難対策本部を設置し、巡視船艇 ・航空機を出動させ、乗組員の救助、航行船舶に対する警戒及び流出油の調査を実施するとともに、流出したコンテナへの衝突等を防止するため、船舶交通のふくそうする海域としては異例の28時間にわたり、関門海峡の航行制限を実施した。
 この事故を契機として、海上保安庁では、濃霧等による狭視界時に通航船舶の安全を確保し、このような海難の再発を防止するため、以後、視界が500メートル以下となった場合には、関門航路への入航中止勧告を行うなどの措置をとることとした。
 また、9年11月11日には、関門航路内で中国船籍貨物船「CHU HAI」(以下「C号」という。)とパナマ船籍貨物船「ASIAN HIBISCUS」が衝突し、C号が航路内で沈没した。
 海上保安庁は、海難発生当初から船舶所有者、港湾管理者等に対し船体の早期撤去、標識の設置、警戒船の配備等を指導するとともに、C号を中心に半径50メートルの範囲を航泊禁止とし、航路航行船舶の行き合い調整、巡視艇による警戒を実施した。しかしながら、同年12月18日には、関門航路航行中のパナマ船籍貨物船「FAIR IRIS」が、沈没しているC号に衝突するという二次海難が発生した。このため、関係者を指導し、C号を明示する灯火を設置する等の安全対策を講じた。
 海上保安庁は、運輸省港湾局、港湾管理者と相互に協力し、船体撤去に向けて船主に対する働きかけを行ってきた結果、沈没後約8箇月を経過した10年7月2日に完全に撤去された。
  (2) 総合的な外国船舶安全対策
 (1)でも述べたとおり、我が国周辺海域において海難を起こした外国船舶の中には、船体撤去等の処理が迅速に行われないケースも見られ社会問題化している。このような海難を防止するため、外国船舶に対しては、従来から訪船指導等を通じて我が国寄港時に、我が国の海上交通法令やローカルルール等を記載した外国船舶向けのパンフレット等を配布するなど、安全指導を実施してきている。しかしながら、海図の備付けが不十分な外国船舶もあり、実際に海難種類別では乗揚げ海難が比較的多い状況にある。
 海上保安庁では、こうした状況に対応するため、海図等の備付けの徹底、船位確認の励行等、乗揚げ海難の防止に重点を置いた安全対策指導事項をとりまとめるとともに、特に外国船舶に重点を置いて訪船指導を強力に推進していくこととしている。
 また、我が国に寄港する外国船舶に対しては、所要の国際基準に合致しているかについての地方運輸局等が行う立入検査(ポート・ステート・コントロール:PSC)に基づく処分の実効を確保するため、当該処分に違反した外国船舶を厳正に取り締まることとしている。
 このほか、海上保安庁としては、海上交通センターによる情報提供の強化、ディファレンシャルGPSの整備、事故発生後の油防除体制の充実等の対策を総合的に講じていくとともに、外国船舶の安全対策の更なる強化に向け検討を進めることとしている。

 2 東京湾等ふくそう海域における安全の確保

 船舶交通のふくそうする東京湾(浦賀水道)、伊勢湾(伊良湖水道)及び瀬戸内海(明石海峡)の主要船舶通航路の船舶交通量を見ると、1日当たりそれぞれ約800隻、約1,000隻、約1,300隻であり、原油タンカー、LNG船、LPG船等の危険物積載船も多く航行している。
 海上保安庁では、東京湾等の船舶交通のふくそうする海域において、より安全な航行を確保するため、海上交通センター、港内交通管制室等において情報提供及び航行管制を実施しているほか、巡視船艇による航行安全指導体制の充実・強化、大規模プロジェクトに係る船舶交通の安全対策など各種の海上交通安全対策を展開してきた。
 特に、大規模プロジェクトについては、東京湾、大阪湾、瀬戸内海において、それぞれ関西国際空港(工事期間 62年1月〜6年9月)、本州四国連絡橋明石海峡大橋(工事期間 63年5月〜10年4月)、東京湾横断道路(工事期間 元年5月〜9年12月)の建設工事が実施された。
 これらのプロジェクトは、海上における船舶の交通に大きな影響を与えるものであったため、海上保安庁では、これらプロジェクトの計画策定段階から、幅広く船舶交通への影響調査を実施するとともに、具体的な警戒船の配備、各種の航行援助施設の整備、情報管理体制や防災体制の整備等について必要な指導を行い、安全の確保を図ってきた。
  (1) 海上交通情報機構等の整備・運用
 我が国の主要な港湾を多く有する東京湾や瀬戸内海等、船舶交通のふくそうする海域では、船舶衝突や乗揚げ海難が発生する蓋然性が高いことから、海上保安庁では、これらの海難の未然防止及び船舶交通の安全と運航能率の増進を目的として、海上交通情報機構を構築することとし、まず、東京湾海上交通情報機構の整備を進め、52年2月にその中枢となる東京湾海上交通センターを横須賀市観音埼に設置し、運用を開始した。
 海上交通センターでは、業務対象海域及びその付近海域の状況について、レーダー施設、気象観測装置によって得られる航行船舶の動静、気象現況等の情報に加え、気象台からの気象警報や注意報、海上保安庁関係部署からの海難や航行安全に関する情報、航路しょう戒に従事する巡視船艇からの情報、さらに法令に基づく巨大船等からの航路通報情報等の情報を収集・コンピュータ処理し、その処理データを基に海上交通に関する情報提供と法令に基づく航行管制を一元的に実施している。
 東京湾海上交通センターの運用開始に伴い、東京湾での衝突及び乗揚げ海難の発生状況は、同センターの運用開始前の10年間においては年平均64.1隻であったが、運用開始後の10年間では年平均32.4隻と大幅に減少した。
 この東京湾での成果を踏まえ、関門海峡を含む瀬戸内海においては、瀬戸内海海上交通情報機構として整備を進め、62年7月に備讃海域を業務対象海域とした備讃瀬戸海上交通センターの運用を開始したのに続き、元年6月に関門海域を対象とした関門海峡海上交通センター、5年7月に大阪湾の明石海峡地区を対象とした大阪湾海上交通センター、さらに10年1月には来島海域を対象とした来島海峡海上交通センターの運用を開始し、順次対象海域を拡大してきている。
 また、名古屋港においては、6年7月に港内を航行する船舶への情報提供と港則法に基づく航行管制を一元的に行う名古屋港海上交通センターの運用を開始した。
 このように、現在我が国では6つの海上交通センターが運用されるに至り、ふくそう海域における船舶交通の安全確保に大きな成果を挙げている。今後は、伊勢湾における海上交通情報機構の導入について検討を行うこととし、これに係る調査を10年度から実施している。
  (2) 東京湾における海上交通環境の整備
   ア 航行安全対策

 63年7月23日に東京湾において遊漁船「第一富士丸」と潜水艦「なだしお」が衝突し、「第一富士丸」の乗組員及び乗客30名が死亡するという重大な海難が発生したことから、政府に「第一富士丸事故対策本部」が設置され、同年10月「船舶航行の安全に関する対策要綱」が取りまとめられた。
 同対策要綱では、航行安全対策に係るものとして、海事関係者に対する交通ルールの遵守徹底、東京湾海上交通センターの機能の充実強化及び巡視船艇による航行安全指導体制の強化、東京湾内の航路体系等の再検討などが盛り込まれた。
 その後、海上保安庁ではこれらを踏まえて所要の安全対策を講じてきたが、9年7月2日に東京湾において大型タンカー「ダイヤモンドグレース」の底触・油流出事故が発生したことから、運輸省内に「東京湾等輻輳海域における大型タンカー輸送の安全対策に関する検討委員会」が設置され、さらなる安全対策が検討されることとなった。
 同検討委員会では、航行安全対策に係るものとして、東京湾等ふくそう海域における航行安全対策の指導、東京湾南航船の航行経路の指導の徹底、東京湾北航船の航行経路の指導、東京湾海上交通センターにおける監視指導強化等について最終報告が10年1月に取りまとめられており、海上保安庁では、これらを踏まえ、巡視船艇による航行安全対策の充実・強化等を図っている。
   イ 航路標識の整備
 東京湾の航路標識整備は、幕末の開国に伴い、観音埼に我が国最初の西洋式灯台を建設したことに始まり、これは近代日本の航路標識整備の始まりでもあった。以来、現在までに、港湾の灯台建設をはじめ、海上交通安全法又は港則法に基づく法定航路や、岩礁、浅瀬等を示す灯浮標、灯標等の整備を進めてきている。
 近年においては、船舶交通のふくそう化、船舶の大型化に伴い航路標識の視認性の向上が望まれていることに加え、東京湾では背景光が年々強くなり、航路標識の標識効果が減殺されてきていることから、灯浮標の大型化、レーダービーコンの併設、標識番号の電光表示化、さらに、港の入口又は航路の入口を示す灯台、灯浮標の灯火を同時に点滅させる同期点滅化、防波堤に設置される灯台の外壁を照射する灯塔照射等を推進し、標識機能の向上を図っている。
 また、前述の「ダイヤモンドグレース」の底触・油流出事故を契機として、既設灯浮標の大型化・光力増大、レーダービーコンの設置等を実施し、更なる機能の向上を図っている。
  (3) プレジャーボートの安全対策
 近年、国民の所得水準の向上、ライフスタイルの変化等を背景に、プレジャーボート等の隻数が年々増加しており、元年度末には約31万隻であったものが8年度末には約43万隻となっている(平成10年7月「海洋性レクリエーションの現状と展望」より)。これと歩調を併せて、小型船舶操縦士免許取得者数も同様の傾向にあり、元年度末には約193万人だったのが、9年度末には約269万人となっている(平成10年7月「海洋性レクリエーションの現状と展望」より)。これに伴い、プレジャーボート等の海難隻数も増加し、元年には563隻であったものが9年には677隻と、漁船の海難を上回り、船舶の用途別では最多となっている。
 プレジャーボート等の活動をはじめとする海洋レジャーについては、個人の自由な領域で実施されるものであり、活動者自身が自己の責任において安全を確保することが基本である。
 このため、海上保安庁では海洋レジャーに対する安全思想の普及・啓蒙や運航技術の向上等を図るため、港内に休日等の一定時間、一般船舶の航行や停泊を制限する海域を設け、小型ヨット、ボードセーリング、手漕ぎボート等への一時的な海域の開放を行う「ボート天国」を実施したり、海洋レジャー行事が安全かつ円滑に実施されるように相談窓口として「海洋レジャー行事相談室」等を設置して対応している。

 3 航海用電子海図の整備

 航海用電子海図(ENC)は、近年における電子技術の著しい進展、船舶運航の高度化、省力化等を背景に普及しつつあるが、これは紙海図の内容を国際水路機関(IHO)が規定した国際基準に従ってデジタル化し、それをCD―ROMに収録したもので、船上に設置された表示システム(電子海図表示システム「ECDIS」)により画面表示されるものである。
 ECDIS上では、紙海図と違い、状況に応じた海図情報の選択、必要箇所の拡大・縮小が任意にできるほか、各々の航海者が必要な情報の書き込みもできるなど高い利便性を有している。
 また、ECDISは、GPSやレーダー等の航海計器と連動させ、自船の位置・予定針路・他船の状況等がリアルタイムで表示でき、船舶ふくそう海域、狭水道等での紙海図への船位記入にかかる労力削減ができる。また、浅所等危険な水域へ接近した場合は、事前の警報音により注意喚起ができることなどから、より安全で効率的な船舶航行に極めて有効なシステムである。
 将来は、海図情報に加え、海上風、潮流、海氷、波浪、うねり、他船の動向等の時々刻々変化する動的な情報も表示する方向で検討されており、これらが実現すれば、さらに安全性、利便性が向上することとなる。
 海上保安庁は、7年3月に世界に先駆けて第1号のENC「東京湾至足摺岬」を刊行し、8年度末までには、日本周辺を包含する小・中縮尺のENCを整備したほか、9年度末には、東京湾を対象とした大縮尺のENCを刊行した(第1―2―3図参照)。
 今後とも、伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海、関門海峡等の船舶がふくそうする海域等から大縮尺のENCを順次刊行していくこととしている。
 さらに、8年10月のIHO国際基準の仕様変更に伴い、既刊のENCについても順次改訂していくこととしている。

第1−2−3図 大縮尺の航海用電子海図「東京湾」の一部(東京お台場付近)

航海用電子海図(昼) 航海用電子海図(夜)