第1章 海上における秩序の維持に努めて
 海上保安庁においては、我が国における各種条約の締結や関係法令の整備等に的確に対応して、従来より国際化、組織化する海上犯罪への対応や主権等を確保するための領海警備等に取り組んできた。特に最近では、国連海洋法条約の締結に際し、関係法令を整備し、直線基線の採用並びに接続水域及び排他的経済水域を設定したことにより監視取締り水域が拡大しているほか、中国人をはじめとする不法入国事犯等が多発している状況にあり、海上保安庁が果たすべき役割はこれまで以上に大きくなりつつある。

 1 多様化・国際化する海上犯罪への対応

 8年7月に国連海洋法条約が我が国について効力を生じたことに伴い、52年に成立した「領海法」及び「漁業水域に関する暫定措置法」に代わり、8年7月から「領海及び接続水域に関する法律」、「排他的経済水域及び大陸棚に関する法律」及び「排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律」が施行され、我が国の主権、主権的権利及び管轄権の及ぶ範囲が大幅に拡大された。この新たな法制度により、直線基線の採用及び接続水域の設定がなされ、内水、領海及び接続水域の面積は我が国領土の約2倍にも及ぶに至った。また、これに排他的経済水域を含めると約450万qと、我が国領土の約12倍もの広さになり、海上保安庁は従来をはるかに上回る広い海域で海上犯罪の監視取締りを担うことになった。
 一方、この10年間の海上犯罪の動向を見ると、密航が2年頃から増加し始め、8年、9年には激増しているほか、我が国周辺海域での外国漁船の不法操業も8年以降増加している。また、覚せい剤等薬物の一般社会への浸透、銃器による発砲事件の増加は重大な社会問題となっている。このため、海上保安庁では取締りを強化しているが、依然として、これらの事案は跡を絶たず、国民の生活に不安と悪影響を及ぼしている。
 このため、今後ますます国際化、組織化する海上犯罪について、体制の整備、装備・機材の近代化、海上保安官の捜査技術・能力の向上等に努めつつ、適切に対処していくことが必要である(第1―1―2図、第1―1―3図参照)。

第1−1−2図 各水域等において沿岸国が有する権利等

第1−1−3図 接続水域等

  (1) 不法入国事犯への対応
   ア 不法入国事犯の現状

 我が国における不法入国事犯は、平成に入り、従来の韓国人を中心としたものから中国人を中心としたものに変化しており、上陸地点は日本全国に及んでいる。中国人による不法入国事犯は、2年に初めて中国漁船を仕立てた集団密航が発生し、また、貨物船の船内に潜伏してくる密航も集団化した。4年頃からは、中国漁船に加え、台湾漁船や第三国の貨物船を仕立てた集団密航も出現して増加傾向をたどり、特に8年から9年にかけては、これらの形態による集団密航が急増した。10年に入ると、従来の中国漁船等を仕立てた集団密航が減少し、貨物船の船内に隠し部屋を設けて潜伏してくる集団密航及び韓国沖合海域において中国船から韓国漁船に乗り換え日本海側に上陸する集団密航が増加するなど、ますます悪質化・巧妙化・広域化している。10年8月17日には、東京港大井埠頭にてセントビンセント船籍貨物船「GOLDRICH RIVER」(総トン数2,900トン、中国人15名乗組)に積載されているコンテナを陸揚げのうえ開放検査したところ、中国人密航者16名(この内8名は死亡)が発見されるという事件も発生している。中国人の集団密航は、「蛇頭」と呼ばれる国際的な密航ブローカーが、我が国暴力団と結託し、不法滞在者、漁業関係者及び貨物船の船員等を抱き込んで、密航者の募集・運搬、我が国での住居手配及び就労斡旋等に関与しており、組織的に行われている。
 中国人以外による不法入国事犯については、6年にフィリピン人による密航事件がフィリピン密航ブローカーの関与により発生したのに続き、7年以降、韓国で不法就労していたパキスタン人、バングラデシュ人等による密航事件が発生しており、韓国密航ブローカーと我が国暴力団の関与が認められている。
   イ 不法入国対策の推進
 海上保安庁では、従来から、関係機関と緊密な連携を保ちながら不法入国事犯が発生するおそれの高い海域における監視警戒を強化するとともに、海事関係者や沿岸住民からの情報が密航船及び密航者の発見に結びつくこともあるため、広く情報の提供を依頼してきた。また、中国等ぐ犯地域から我が国に来航する船舶に対し、綿密な立入検査を実施することにより、密航者の発見に努め、密航事件の捜査においては、手引者の有無を明らかにし、密航組織の全容解明を図ってきている。
 このような状況の中、増え続ける不法入国事犯に対応して、海上保安庁では、6年6月、本庁等に「不法入国対策官」を整備したが、特に8年12月から9年2月にかけて中国人の集団密航が多発したことから、9年2月には本庁に「密航対策室」、各管区本部に「密航対策本部」を設置し、関係機関との連携と情報収集体制をより一層強化するとともに、巡視船艇・航空機による本邦周辺海域における未然防止を含む監視取締りを強化するなど、不法入国対策を強力に推進している
(第1―1―4図、第1―1―5図参照)。
第1−1−4図 不法入国事件検挙状況
第1−1−5図 全国の不法入国者検挙状況(元年〜10年8月31日現在)
  (2) 外国漁船による不法操業事犯への対応
   ア 周辺海域における外国漁船確認状況
 昭和52年、米ソが200海里水域を設定したことに伴い、北洋を中心に我が国遠洋漁業は縮小を余儀なくされ、魚類の輸入が増加する反面、我が国における漁業生産量は減少し、我が国の漁船隻数は年々減少傾向にある。
 一方、我が国周辺海域は、黒潮、対馬海流、親潮に恵まれ、好漁場が多いことから、近年、韓国、中国、台湾といった近隣諸国等の外国漁船の活動が活発化し、多数確認されるようになった。平成に入りこれらの確認件数は年間延6千隻から延3千隻程度まで緩やかに減少していたが、6年から増加に転じた。特に、これまで漁業水域が設定されていなかった東シナ海等について、8年7月20日から排他的経済水域が設定されたことから、我が国の領海及び排他的経済水域において確認された外国漁船隻数は、8年に延約1万2千隻、9年に延約1万9千隻、10年(6月末現在)は延約7千隻と大幅に増加している(第1―1―6図参照)。
第1−1−6図 日本周辺海域における外国漁船確認延隻数の推移
   イ 外国漁船による不法操業の現状と外国漁船対策の実施
 外国漁船の中には、不法操業を行うものも多く、巡視船艇・航空機により監視取締りを実施している。領海及び排他的経済水域(8年7月19日以前については漁業水域)において検挙した外国漁船の隻数は、元年から9年にかけて315隻となっているほか、警告・退去させた外国漁船も増加している。
 このような不法操業漁船の中には、巡視船艇等からの停船命令に従わず逃走し、ロープを流して巡視船艇の推進器に絡ませようとしたり、ジグザグ航走するなどにより、巡視船艇の接近を妨害するものもある。さらには、自船を巡視船艇に体当たりさせたり、海上保安官の移乗等に際して角材等を用いて頑強な抵抗を行うなど悪質の度合いを高めてきている。
 このような悪質な外国漁船に対しては、厳しく対処することが必要なことから、巡視船艇により強行接舷を行い、複数の海上保安官を移乗させて漁船乗組員を制圧するなど、徹底した取締りを行っている。
   ウ 日中・日韓の漁業協定を踏まえて
 中国及び韓国国民については、「排他的経済水域における漁業等に関する主権的権利の行使等に関する法律」の規定の一部が適用除外されているが、日中・日韓の新たな漁業秩序の構築に向けての協議が進められている。
 日中間については、9年9月、原則として沿岸国が自国の排他的経済水域において海洋生物資源の管理を行うことを基本とする新たな漁業協定の大枠について実質的な合意に達し、9年11月に署名が行われ、10年4月には国会にて承認された。現在、協定の実施に関する細目の調整が行われている。日韓間については、8年以降、首脳会談でも取り上げられ、鋭意協議が行われたが、合意に達せず、10年1月23日、現行の日韓漁業協定の規定に従い、韓国政府に対し現行協定を終了させる意思が通告された。現行協定は、終了通告後1年間は有効であることから、この間に、国連海洋法条約の趣旨を十分に踏まえた新しい漁業協定が早期に締結されることが望まれている。
 このため、今後、我が国周辺水域で操業する中国漁船、韓国漁船に対しても、新たな漁業秩序の下で、基本的に我が国による規制取締りが及ぶこととなり、外国漁船の取締り業務は大幅に増大することが予想され、これまで以上に監視取締りを強化していく必要がある。
 一方、北海道周辺及び日本海西部から九州西方に至る海域のうち、我が国の漁船の操業が法令により規制されている海域及びその周辺海域においては、現在、日韓両国の意見の一致により韓国漁船の操業自主規制水域が設定され、操業の自粛あるいは操業隻数の制限等の規制がなされている。しかしながら、西日本周辺海域を中心に、この自主規制を無視して操業する韓国底びき網漁船が跡を絶たないため、自主規制措置違反の多発する海域に巡視船艇・航空機を配備し、監視警戒に当たっている。
  (3) 薬物・銃器事犯への対応
 我が国においては、覚せい剤取締法違反による摘発人員が3年連続で増加し、しかも青少年層における乱用が目立っているなど、非常に憂慮すべき状況となっている。薬物問題は、我が国ばかりでなく、世界の国々にも共通する深刻な問題であり、国連を中心に国際的対策が検討されてきた。63年12月には、国際的な協力体制の下に取締りの強化、不正取引の防止等を図ることを目的とする「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約」(麻薬新条約)が採択された。
 国連では、国連薬物統制計画(UNDCP)を中心に、海上における取締り技術の向上を図る必要があるとの認識の下、海上における不正取引の防止に関する具体的方策等の検討を進めてきた。海上保安庁は本分野におけるUNDCPの活動に積極的に協力し、「UNDCP海上薬物取締研修ガイド」作成において中心的役割を果たしたほか、9年10月、横浜において、UNDCPと共に、アジア・太平洋地域の海上取締り能力の向上、協力関係の強化を目的とする「アジア・太平洋海上薬物取締研修セミナー」を開催した。
 銃器に関しても、4年頃から、銃器を使用した凶悪な事件が続き、一般市民の被害が相次ぐなど治安上極めて憂慮すべき事態となっている。
 このような状況にかんがみ、7年9月内閣官房長官を本部長とする銃器対策推進本部(本部員:海上保安庁次長ほか)、9年1月内閣総理大臣を本部長とする薬物乱用対策推進本部(副本部長:運輸大臣ほか)が設置され、政府を挙げ対策に取り組んでいる。特に、四方を海に囲まれた我が国では不正に使用される薬物、銃器のほとんどは、海外から船舶等を利用し持ち込まれていることから、薬物、銃器の水際対策が重要課題とされている。このため、海上保安庁では、2年6月本庁に国際犯罪対策室を設置するとともに、以後、薬物・銃器の密輸事犯が発生するおそれの高い海域を管轄する管区本部に順次、国際犯罪対策室を設置し、警察、税関等と連携をとりつつ、水際取締りの強化を図ってきており、6年9月には、洋上取引後のプレジャーボートを共同摘発し、覚せい剤原料約202kgを押収するなど、成果を挙げている。また、8年7月以降は、「領海及び接続水域に関する法律」により新たに設定された接続水域においても、薬物・銃器事犯の取締りに万全を期している。
 これらの結果、海上保安庁では元年から9年にかけて、薬物事犯69件、銃器事犯91件を送致している。

 2 領海等における主権等の確保と警備実施

 海上保安庁では、我が国における平和、秩序、安全を害する外国からの諸活動に対して、我が国領海等における主権、主権的権利及び管轄権を確保するため従来から領海警備等を実施しているが、近年尖閣諸島等において重大な事案が発生している。
 また、海上における治安維持のための警備実施についても、対象事案が多様化しており、今後とも機動的に対応していく必要がある。
  (1) 尖閣諸島を巡る情勢と対応
 尖閣諸島については、46年以降、公式に中国及び台湾が領有権を主張しており、2年10月には、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っている台湾船2隻が領海内に侵入するという事案が発生した。
 また、8年7月には、当初我が国の排他的経済水域の設定に伴う漁業活動への影響を不満とし、また、尖閣諸島北小島に日本の団体が灯台の用に供する構造物を設置したことに対する抗議として、台湾・香港等で「保釣活動」と呼ばれる領有権主張の活動が活発になった。
 同年8月以降、抗議や報道目的で同諸島領海内に侵入する事案が発生しており、中には海に飛び込んだ活動家が溺死する事故や抗議活動後乗員が離船し無人となった抗議船が魚釣島付近海域に沈没する事案等、過激化・複雑化の様相を呈しており、今後もこのような抗議活動は続くものとえられる。
 海上保安庁では、全国から巡視船艇・航空機を動員するとともに、関係省庁との連携を図りつつ、今後とも不測の事態が生じないよう細心の注意を払いながら万全な体制で領海への侵入を排除する等の警備及び救難活動を行っていくこととしている(第1―1―7図、第1―1―1表参照)。
第1−1−7図 尖閣諸島魚釣島周辺図
第1−1−1表 尖閣諸島をめぐる主な抗議概要(8年9月以降)
  (2) 竹島・北方領土問題への対応
 日本海南西部に位置する竹島は、韓国が29年から灯台の用に供する構造物等の施設を建設するとともに、警備隊員を常駐させて占拠を続けており、かつ艦船にて常時竹島周辺海域の警戒を行っている。
 海上保安庁は、従来からの竹島問題は外交ルートを通じて平和的に解決を図るべきであるという政府の方針に沿って、我が国漁民の安全を確保するという見地から竹島周辺に、常時、巡視船を配備し、監視及び被だ捕等の防止指導を行っている。
 一方、北方四島周辺海域においては、元年以降36隻(10年6月末現在)の日本船舶がロシア(旧ソ連)にだ捕されている。当該水域においてロシアは、6年から8年まで「プチーナ(漁期)」、10年には「ビオ(生物資源)98」と称する密漁取締りを実施しており、違反漁船に対しては、武器の使用も辞さないという強硬な姿勢を示していることから、引き続き厳しい取締りが予想される。
 このため、海上保安庁では、だ捕等の発生が予想される北海道東方海域のロシア主張領海線付近等に、常時巡視船艇を配備し、漁船等の監視警戒に努めている。
  (3) 東シナ海における海洋調査船等への対応
 我が国周辺海域では、海洋開発に対する各国の関心の高まりや海底資源開発技術の進歩等を背景として、外国の海洋調査船等の活動が確認されている。
 特に、6年からは、中国の海洋調査船が頻繁に確認されるようになり、年によって増減はあるが、年4〜15隻が確認されている。これらの中には我が国領海内に侵入し調査活動を実施した事案も発生している。
 一方、我が国は、国連海洋法条約に基づき、我が国の大陸棚及び排他的経済水域において外国が海底資源調査等を行うことは我が国の同意が無い限り認めないこととしている。このため海上保安庁では、我が国の大陸棚及び排他的経済水域において、同意を得ていない調査を実施している外国海洋調査船等に対し巡視船艇・航空機により厳重な追尾監視を行い、現場海域において中止要求を行うとともに、外務省等にも通報する等により対処している。
 また、東シナ海及びその周辺海域では、3年から我が国及び外国の漁船、貨物船等が不審船から発砲、追跡等を受けたり、金品を強奪される等の事件が頻発した。
 このような不審船事件、特に発砲事件の頻発は、当該海域で操業する日本漁船や航行船舶にとって大きな脅威であり、公海上における秩序維持の観点からも座視できない問題である。
 このため、海上保安庁では、東シナ海における不審船に関する注意喚起を行うとともに、事件多発海域に巡視船及び航空機を配備して厳重なしょう戒を行い、我が国船舶の安全確保に努めたほか、中国政府との間で東シナ海の安全確保のための協力方策について協議し、日中両国間の連絡体制を確保している。
 このような対応の成果もあって、東シナ海における不審船事件は、6年以降、沈静化している。
  (4) 海上紛争の警備と警衛・警護及び特殊警備事案への対応
 海上保安庁は、領海警備のほか、海上における各種紛争事案に対し、人命財産の保護、犯罪の予防及び鎮圧を目的として、巡視船艇・航空機により所要の警備を実施するとともに、天皇陛下及び皇族方に対する警衛、国内外要人に対する警護を実施している。
 これまで、外国艦船の入出港に伴う警備、核物質の海上輸送に伴う警備、原子力発電所及び空港の建設に伴う紛争等に関連した警備、米軍基地問題に係る警備等、地域に顕在する問題に直面する警備を実施しているほか、2年11月に行われた即位の礼等に際する要人の来日に伴う羽田空港周辺海域等の警備、7年3月のいわゆる地下鉄サリン事件
発生時のフェリー等への海上保安官の警乗、9年6月の「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)見直しの中間報告を背景とする抗議活動に対する警備、10年1月の韓国自主規制措置の中断通告後の北海道襟裳岬沖(中断通告以前の自主規制水域内)における韓国漁船の操業に対する我が国漁業者の抗議活動への警備等、その時々の社会情勢を如実に反映した事案に対応してきた。
 これらの海上における各種紛争等は、近年では、広域化・多様化する傾向があるため、海上における秩序を維持すべく警備実施強化巡視船(警備実施体制等の整備・強化を図るため、特に指定した巡視船)を中核とした警備実施体制の更なる充実強化に努めている。
 また、4年11月から5年1月にかけて行われた高速増殖炉「もんじゅ」等の運転に必要なプルトニウムの返還輸送に際しては、輸送船「あかつき丸」がフランスのシェルブール港沖合から城県東海港においてプルトニウムの陸揚げを終了するまでの間、国際テロリスト集団等の活動に備え、巡視船「しきしま」及び輸送船に警乗した海上保安官等により護衛を実施した。
 このほか、海上保安庁では、シージャック、サリン等の有毒ガス使用事案等高度な知識及び技術を必要とする特殊な海上警備事案に迅速かつ的確に対処するため、8年5月大阪特殊警備基地を設置した。同基地では、特殊警備隊が地下鉄サリン事件、在ペルー日本大使公邸占拠事件等の発生を踏まえた所要の訓練を実施しており、24時間体制で海上における特殊警備事案の発生に備えている。